行く末トーキー

はじめからはじめよ

ノスタルジーとレガシー ― 初級革命講座 飛龍伝

めちゃくちゃ久しぶりに電車に乗った。マスク外していいだの感染者数が過去最高を更新し続けてるだの、相反するニュースばかり聞いてた割に車内は静かで、夏休みらしさは特に感じなかった。

鑑賞の記録

  • タイトル:十三回忌追悼公演 つかこうへいLonely 13 Blues「初級革命講座 飛龍伝」
  • 日時:2022/07/23 14:00
  • 場所:紀伊國屋ホール

推しや好きな作品とは一切関係ない舞台を見に行ったのって何年ぶりだろう……?

つか作品はちょうどう3年ほど前に新幕末純情伝を見た以来。行ったことは覚えてたけどほぼ同じ時期だったのは記事探して初めて気づいた。

当たり前のクズばかり ― 新・幕末純情伝 FAKE NEWS - 行く末トーキー

今回見に行ったのは漫画「ダブル」と、↓の記事の影響です。

boogiewoogie.hatenablog.com

「ダブル」は何かの理由で全話無料公開されてた時に読んで、そこから更新に気づいたら読んでいる。ドラマは見ていない。で、そこで扱われる「初級革命講座」を知らないから「男二人がもだもだうだうだやってる」以上の情報が得られず、なんか悔しくなったところで上演のお知らせを見たので思い切ってチケットを取りました。

雑感

カロリーが……カロリーが高い………!

3年前も思ったんだけど、私とつか作品は致命的に相性が悪い。基本的に聞き取れなかった台詞を視覚で補いつつ読み解いていくスタイルなので長台詞が続くと途端に息切れする。多分半分も聞き取れていない。見終えた後に↓の記事を読んで山崎と小夜子の出会いを把握したくらいには聞き取れていない。闘争とは関係ない場で出会ったんだと思っていた……。

saizenseki.com

それでもものすごく惹きつけられる。どこのシーンがアイ子で、どのシーンが小夜子だったかも分からないし、熊田は結局闘争の場に戻ってきたのかも分からない。なのに、もう戻ってくることのないと分かっていても「あの頃」から離れられない山崎のどうしようもなさが胸に迫る。熊田に何が足りないのかを尋ねるシーン、そうまでして留まりたいというか、そうまでしても恐らく進めないだろう執着の強さを感じてちょっとゾッとした。石も角材も、なんなら人員さえも貸し出すから戻ってこいって、もう闘争のお題目はどうでもよくて、ただとにかく「あの頃」そして小夜子への思いをなぞりたいという欲求しかない。あらすじを読んだ時は熊田の話かなと思っていたが、見てみたら山崎の話だった。

冒頭で当時の時代背景や用語の説明があったように、学生闘争というものはもはや教科書の1ページでしかない。初めて「初級」が上演された頃とは状況が違う。当事者として「初級」を見る人が減り、次いで「つかこうへいが生きていた時代」を知る人が減る。役者も演出家も観客も、誰もが「学生闘争」や「つかこうへい」を言葉の上の存在としてしか認識できなくなった後も、この作品は上演されるのかなぁ、みたいなことを考えながら帰り道についた。

アフタートークで「つかこうへいはその場で台詞を伝えて役者の琴線を探っていた」という話を聞いた。「初級」を見に行くきっかけになった記事にも「作品がキャラクター(役者)にリンクしてくるというよりも、作品をキャラクター(役者)に合わせていく感覚に近い」とある。でも彼はもう亡くなっている。稽古の中で作り上げた言葉たちは台本の上に固定された。もちろん上演するたびに演出家や役者が細かな変更を入れるだろうけど、大筋は多分変わらない、と思う。事実を覚えている人はどんどんいなくなる。それでも「初級革命講座」は上演されるのかなぁ。

初心者も初心者の戯れ言だけど、なんとなく、上演されるだろうし、上演されてほしいなと思った。「初級革命講座」にノスタルジーを感じる人がいなくなったとしても、学生闘争があったことは事実で、身動きが取れないほど嵌まり込んでしまった人がいるのも多分事実で。固定された言葉だとしても、言葉をなぞって、声に出して、体を動かして「あの頃」を想像することには何かの意味がある、はず。間違いなく教科書の1ページになりそうな現実を生きているからか、そうあってほしいなぁと感じた。

それにしても何も分からなかったな~~~~~! 改変混じっててもいいから戯曲読みたい。聞き取れなかった部分を今からでも補足したい。探すか!