行ってきた~~~~~~!!!!
観劇の記録
- タイトル:恋を読む「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」
- 日時:2019年3月12日 12時半 (荒牧・三森)
- 場所:オルタナティブシアター
初演の時に気になってて、でも都合がつかなくて行けなかったんですよね。あとその頃はまだ「朗読劇」ってのを一度も見たことがなかったので、「どうせなら初めての朗読劇は推しさんが出るものがいいな~~~」という思いもありました。そしたらね!今回満を持して再演+出演ということで!!!!!いや~~~~~運命ってあるものですね!やったーーーーーー!!!!HAPPY!!!!!!!!
初演の感想ブログとかは目を通してて話の流れは大体知ってたんですけど、いまいちピンときてない状態で見に行きました。「終わってから原作読むといいよ」と聞いたので、このブログを書いたら読み始める予定。
座席位置
後方の真ん中あたり。オルタナティブシアターは確か去年のミラステ上映会ぶり...?かな...?あれからもう1年経とうとしてるんだねぇ。劇場に上がるエレベーターが混雑そして混乱しがちなことを除けば快適な場所だなって思います。
1年といえば、三森さんを初めて(生で)見たGEM CLUB Ⅱからも1年ということで......。時が流れてるんだなぁ。
与太話
↓のインタビューを読んで、朗読劇って私が思うより奥が深いのかもしれない...?って考えてたところです。
朗読劇は難しいところがたくさんあって、役者の習性で台詞を覚えたくなるんですけど、脚本をインプットすると本を読むのではなく喋ってしまう癖が出て、それでは朗読劇ではなくなってしまうので、好きな人に話をするように一言一言を大切にしながら、本を読みたいと思います。
へブレコを見てた頃に、朗読劇といっても台詞は覚えてるのかな~という疑問を持ったことがある。1回見た後に台本を買って一通り目を通しただけの私でも部分的には覚えてるんだから、稽古から何度も読んでたら(推しさんは覚えるのが早いみたいだし)覚えてるんじゃないかな、って。台本を見てるように見えるけど、台詞そのものは頭の中に入ってるんじゃないかな、って気になっていた。
へブレコも今回も、台詞を覚えてるかどうかはわからないけれど、覚えているなら「それでは朗読劇ではなくなってしまう」らしい。じゃあ「朗読劇」ってなんなんだろう? 「読む」と「喋る」の違いってどこにあるんだろう? というのをしばらく考えていた。今も考えている。もしかして「インプット」と「覚える」って違うのかな?
雑感
まだその答えは出ていないんだけど、きっと「何度目であっても、初めて出会うのと同じ気持ちで」本と向き合うことが大事なのかもしれないなぁと思った。台本と愛美のメモは似ている。その次に何が起きるかは決まってるんだけれど、それを「どう受け止めるか」はその時になってみないとわからなくて、その一瞬にきちんと向き合う気持ち...みたいなのが...大事なのかなぁ? でもそれって普通の(朗読劇じゃない)演劇でも一緒っちゃ一緒だよね。やっぱわかんないや。何が違うんだろうなぁ。
荒牧さんは手が大きい。台本の端を親指で抑えていても、小指で背表紙をちゃんと支えられる。改めて見ると指が長い。三森さんの隣に立った時、あまりに手の大きさが違うのでびっくりした。男性として大きいかどうかはちょっとわかんないけど、改めて「この人は男の人なんだなぁ」と思ってちょっとどきどきした。笑っているところを見ると私も嬉しくなったし、泣いている時は悲しくなった。一緒の時間を過ごしてる感じがした。
話の筋はやっぱりよくわからなかった。愛美と高寿は時間の進む方向が逆なことはわかった。でも、愛美がこちらに来ることを両親(?)は知ってるのかなとか、4月30日(高寿にとって最後の、愛美にとって最初の日)に高寿が話した内容を踏まえて愛美が行動したとするなら、キリンのペンクロッキーが教室に貼り出されることとかポメラニアンのことは言わないんじゃないかなとか、そういうことがひっかかった。あと3月31日と5月1日の2人はどうなっちゃうんだろう、とか。原作を読んだらわかるようになるのかな。
でも多分そういうことはあまり重要じゃないんだとも思う。本当に大事なことは、高寿と愛美はど真ん中で相手のことが好きだって思ってて、それをちゃんと相手に届けたいと頑張ってることなんじゃないかな。それが巡り巡って幼い自分を救うことに繋がるとか、そういう野暮な事情も全部置いといて、ただ相手が「好き」でたまらない2人の話だったなーって思った。どんな結末になろうとも、相手のことが大好きだから「今」一緒にいられる幸せを感じていたい、みたいな...。
だってさ、高寿にとっての明日が愛美にとっての昨日で、愛美にとっての明日が高寿にとっての昨日だったとしても、「今日」という一瞬は今ここにしかないわけじゃん? 2人が「昨日」をどう過ごしてきたかをわかりあえなくても、「今日」を一緒に過ごすことはできるから、...えっと...なんつーか、ほんとは何が起きてるかわかってなかったとしても、それによって「今日」の価値が変わるわけじゃない、みたいなことを考えた。
あとね、2人の関係って、役者と観客にも通じるところがあるな~って思った。特に今回は1回限りの舞台だったこともある。役者は稽古をした後に本番を迎えて、本番を終えればもう同じ台詞を読むことはない。一瞬一瞬が「最後」になっていく。それが観客にとっては「最初」の出会いになって、本番が終わってからもこうして繰り返し考え続けるきっかけになる。同じ時間を過ごせるのは上演時間だけで、役者が「最後」に発する台詞が、観客には「最初」に出会う台詞になる。ちょっと似てる気がする。延々とすれ違っているようにも見えるけど、決して無意味なわけじゃない。バトンリレーみたいに、役者から届けられた台詞は観客の心の中に残って、観客と一緒に時を超えていくんだと思う。だから、高寿と愛美も、お互いが持っていたバトンをお互いに渡して、5年後にまた会いに行くんじゃないかなぁ。
そういえば、荒牧さんの涙をまた見た。薄ミュ(原田篇)で涙ぐんでるところは見たけれど、本格的にボロボロ泣いているところを見たのは刀ステ(悲伝)が初めてで、あれ以来いろんな作品で泣いているところを見ている気がする。涙というのは不思議なものだなーって見るたびに思う。なんかさ、自分で「涙を出そう」と思ってもそう簡単には出ないじゃん。今ちょっと頑張ってみたけど無理だった。でもポロポロと溢れて落ちる涙は全然無理がないように見えて。まるで本当に好きな人との時間がすれ違ったことがあるかのように見えてきてしまう。役者としてすごいってことなのかな。涙を見るたびに不思議な気分になる。舞台にいるのは本当に荒牧さんなのかな、荒牧さんの身体を借りた別の人なんじゃないかな、ってちょっと不安にもなる。それが「演じる」ってことなのかもしれないね。
ぐだぐだ書いてきたけど、いい作品に出会えて幸せです。ニコ生やTV放送でまた出会えるのもいいね。流れ星のシーンとかどう映ってるか楽しみです。原作読んでからまた見たい。
さらに余談
せっかく有楽町まで来たんだし、と思って、観劇ついでに日比谷で映画見たんですけど、スクリーンで選んだらなんと作品が「スパイダーマン スパイダーバース」でした。平行世界ネタ......!!! こういう偶然ってあるものですね。