行く末トーキー

はじめからはじめよ

続 とある刀剣と個人の話

山姥切国広展示に寄せて

前回書いたのがこちら。ほぼ5年前だ。懐かしいね。

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この展示を境に私は日本刀のおたくから舞台のおたくになった。旅に出る回数はぐんと減り、代わりに劇場へ通い始めた。ついでに飲酒量もかなり減った。人の顔なんて全く興味もなかったのに、推しの顔がいいと連呼してブロマイドを集めるようになった。激変の5年間だ。

正直なことを言うと、もう一度展示されるとは思っていなかった。個人蔵の刀は持ち主の意向が何より優先されるし、山姥切国広の持ち主は刀を使って利益を得ない方針らしい*1

だから、また展示されるという知らせを見た時は半信半疑だった。計画倒れかもしれないし、このご時勢から直前になって変わる可能性だってある。あまり信じずに……と自分に言い聞かせつつ続報を待つ。どうやら本当らしいと信じられたのは予約枠の取り方が発表された頃かな。先着順か……多分サーバが落ちるんだろうな……なんてことを考えていたら、急に「山姥切国広が展示されるんだ」という実感が湧いた。

ならば見るしかない。なんとしても初日の枠を抑えるんだと気合を入れて、混み合うサーバーを掻き分けてどうにか1人分のチケットを確保した。すごい時間かかった。あれ、お金かけていいからプレイガイドとかに任せられなかったんだろうか。3月枠から抽選になったのでちょっとほっとした。

そして、2022年2月11日、午前10時30分。こんな偉そうなことを言っておきながら10時枠が取れてないところが小物である。でもこれを書くにあたって↑の記事を見たら前回も10時30分だったらしい。開館時間が30分早まってたのか。これも奇妙な巡り合せということかな。

5年前とは違ってケースに入れられた山姥切国広は、5年前と同じく美しかった。今回は差裏も直接眺められるようになっていて、長尾の銘もしっかり確認できた。

ずっと昔に生まれた刀が、美しいまま現在に伝わっている。それがどれだけ素晴らしいことか、5年かけて理解した気がした。会期中にそこそこ大きな地震があったのも大きいかな。地震で一度消失したとされる刀が今も健やかにある。場所を変え持ち主を変え、けれどその全員から大切にされて、今また私の目の前にある。奇跡みたい、というか奇跡そのものだ。

足利の街は5年前と同じようでちょっと違った。新しいお店ができたり、前はここに何かあったような……と思わなくもなかったり。状況が状況だから迷いながらではあったが、持ち帰れるものはたくさん食べた。クッキー、餃子、しゅうまい、クレープ、パフェ、玉こんにゃく、焼きそば、アイス、ジュース、お弁当、肉まん、プリン…………食べ過ぎでは? フードファイトか? でも全部おいしかったんだよなぁ……。ごちそうさまです。

無双のスタンプラリーがあったおかげで前回とは違う方面へも足を向けた。無双も5年の間に新しく生まれた本丸だね。まさか自分がゲームハードを買って夢中でクリアするだなんて思ってなかった。山姥切国広にはいつも新しい世界を見せてもらってばかりだ。ちなみに初日に太平記館・足利学校・まちなか遊学館・長林寺の4箇所を巡ってポストカード入手→3月中旬に美人弁天→最終日にフラワーパーク、とものすごい時間をかけて巡った。フラワーパークが遠いんじゃ。電車が1時間に1本しかないんじゃ。路線図見ても足利・あしかがフラワーパーク間がやたら離れてるし。

あと、体力の衰えを痛感した。織姫神社の階段が……一息で登りきれず…………。かなしい。くやしい。筋トレしよう。そうか、あの時から5年経ったんだなぁって思いながら途中で休憩した。

この5年間で、自分が一番変わった気がする。だからこそ変わらずに美しい山姥切国広の価値が伝わってくる。たくさんの人から健やかにあれ、美しくあれと願われて在り続ける一振りの刀。これからも美しく在り続けるだろう一振りの刀。すごいことだよ、本当に。

最終日、2022年3月27日。17時半の枠(最終枠)はおそらく複数回来ている人しかいなくて、入場が始まると大勢が真っ先に2階へ向かった。最前で見るための列がずらりと伸びて、並びながら改めて長尾顕長の書状を眺めた。刀だけでなく、こういった紙でさえ今に伝わっているのもすごいよね。虫食いや汚れを越えて、確かにこの場所で生きた人がいると教えてくれる。長尾顕長には足利がどんな場所に見えたんだろう。

これが人生最後の山姥切国広かもしれないと思ったら、どうしたって離れがたい。最前を巡った後も柵の向こうからずっと眺めていた。同じように眺める人たちが大勢いた。閉館時間が30分伸ばされ、列が18:20頃に途絶えた後も、みんなでずっと眺めていた。時々ぼそぼそと話す声はしたけれど、ずっと静かだった。不思議な時間だったなぁ。18:30に閉館のアナウンスが流れて、30人くらいのギャラリーがみんな拍手した。それから少しずつ少しずつ山姥切国広を離れて、美術館を出た。

私はもう二度と山姥切国広を見られないかもしれない。運よくまた展示の機会があったとして、都合が付けられるかは分からないし、その時には興味が薄れていることだって十分考えられる。でも、山姥切国広はずっと美しく在るんだろうなぁ。みんなから美しくあれと願われて、その通り美しく在るんだろう。これは本当にすごいことだ。すごい、としか言い表せない自分が嫌になるくらいすごいことだ。

美しく在れ、健やかで在れ、山姥切国広。ずっとずっと先まで愛される刀でありますように。

*1:前回展示を扱ったこんのすけの刀剣散歩は、この意向を受けて山姥切国広の回だけ配信されていない