行く末トーキー

はじめからはじめよ

そうありますように ― 舞台 刀剣乱舞 綺伝 いくさ世の徒花

※ 2022/03/31に書きました

劇場を出たら雨が花を流していた

観劇の記録

  • タイトル:舞台 刀剣乱舞 綺伝 いくさ世の徒花
  • 日時:2022/03/31 18:00
  • 場所:明治座

年度末なんて関係ないのだ! そこにチケットがあるなら行くしかないのだ!

座席位置

花道の近く。本当に近く(上手側2列と下手側1列)は空けているっぽい。でも通るたびにズダダダダダって振動来るし、なんならその前に「なんか明るいな」って気配を感じるのですぐに分かる。通路演出がなくなって久しいからこの感覚でさえ懐かしくなった。

そして2幕のすごいタイミングで地震があった。本当にちょうど信長公が出てくる直前で、信長公の圧すげぇ……違うこれ地震だ……そこそこでかいな……っていう不思議な感覚を味わった。ちょっとびっくりした。上演中に地震遭ったの初めてかな? ステアラで揺れた時は休憩時間中だったし。特に中断などはなく無事に最後まで上演されました。官兵衛地震起こすのやめて。

雑感

一度見てストーリーが分かってるからといって食らわない訳じゃないんだよなぁ。むしろ分かっているからこそダメージがでかい。科白劇→綺伝もそうだし、綺伝の中でもそう。

初回は伯仲にすべてを持っていかれたので、今回は主に歌仙さんに集中して見てた。2幕冒頭は、歌仙さんの中にある「細川忠興の物語」を刀剣男士として振り返って、あれこれと声をかけていたってことなんだろうか。義伝ラストの小十郎(そこに存在するはずのない人物)を思い出す。歌仙さんの言葉は2人には届かないんだよな。あの届かない感をもうちょっとマイルドにすると政宗公の最期のシーンになる。忠興様が出ているのもあって義伝の要素がふんだんに盛り込まれている。

離縁のくだりの「忠興様は貴方を手の届くところに置いておきたかったんじゃないかな」の一言。あれは「今ここにいる(刀剣男士としての)歌仙兼定」が言えることであって、当時の、刀のままの歌仙兼定では言えなかったんじゃないかと思う。口があるかとかの話ではなくね。「歌仙兼定」という付喪神が生まれるには、細川忠興の逸話が長く長く語り継がれる必要がある。その中で「忠興はきっとガラシャを愛していたんだ」という願いが織り込まれた結果、刀剣男士の歌仙兼定は離縁しても蟄居という不可解な状況に対して「手の届くところに置いておきたかったんじゃないかな」と口をはさむようになった。

このへん、刀剣男士は刀の付喪神であって擬人化ではない、って設定がすごくうまく生かされてるよね。長く語り継ぐ中で「そうであってほしい」と広がったり歪んだりした部分を含んで生まれる存在。その始まりからして正史だけでなく願望=物語も宿している存在。「そうありますように」と願い、自らに物語を託した人たちを守るために、刀剣男士たちは歴史を守るんじゃないかな〜、みたいなことを考えてました。刀剣男士にとってのアイデンティティは、元となった刀に託された逸話そのものだから、良い意味でも悪い意味でも逸話を崩す行いは本能的に警戒するし排除しようとする。

……となると朧国広(山姥切国広の影)は何を狙ってるんだって話になるんだが。彼は本科から「偽物くんの偽物」と呼ばれるから、多分慈伝を経て修行に出た山姥切国広ではない、らしい。多分悲伝の一騎打ちで刃が届かず、失意の中でさらなる強さを求めて旅立った山姥切国広(のどれか)じゃないかと思う。彼は「山姥切国広」という刀に託された物語を飲み込んで乗り越えていくというより、自分が語る物語の強さを上げていき、それで「三日月宗近の消滅」を避けようとしてる……のかな? 語られる側ではなく語る側に立とうとしている、ような気がした。全部勘に過ぎないけども。

てかなんで官兵衛を初めとした朧アベンジャーズが三日月を救おうとしてるんだ〜〜〜全くわからない。そこに至るまでに情緒やら何やらを全部搾り取られたせいで何も考えられない。三日月が救われる=表裏が反転する=朧アベンジャーズが「正しい歴史」の存在になる、ってこと? 朧アベンジャーズ、一体何者なんだ。そしてなぜ阿吽ちゃんは黒田孝高ではなく朧国広を崇めるようなポーズを取ってるんだ。天伝に出てきた朧如水は実は朧国広でした〜とか言わないよな? そこはさすがに大丈夫だよな?

なんもわからん……愛し合う二人がどうしようもなくわかりあえず、分かり合うには「そうであってほしい」と願われた刀を介するしかなかったことしか……多分分かってない……。