行く末トーキー

はじめからはじめよ

とある刀剣と個人の話

あるいは、希望をどのように見積もるかという話。

たまには若手俳優とあんまり関係ない話でもしようと思う。

若手俳優*1に興味を持つより前から、私は刀剣乱舞をプレイしている。その中でも特に、「山姥切国広」という刀剣男士を偏愛している。

*2と私をめぐる話を、いい機会だし書き残しておく。

そもそも、刀剣乱舞を始めたのは知人の依頼があってのことだ。諸事情があって「このゲーム、ちょっとやってみて感想聞かせて」と言われたのが2015年1月末。無料だし試しにやってみるか、という軽いノリだった。

で、最初の刀剣男士を選ぶ段になって、ものすごく迷った。今でもよく覚えている。日本史とか全然わからないし、好きな声優さんがいるわけでもなし。そんなこんなで、一番声が好みだと思った「山姥切国広」を選んだ。

そこから、可もなく不可もなし、といった感じでなんとなくゲームを続けていたが、15年5月に転機が訪れる。

三日月宗近が展示されるらしい、とうわさに聞き、近所だしたまには美術館・博物館に行ってみるのも悪くないか、と軽い気持ちで見に行ったのだ。天下五剣の中で一番美しいとゲーム内で明言されているし、どういうものなんだろうと興味を惹かれたのもあった。

そのときは、刀の鑑賞のしかたなんて全然わからないし、正直美しいかもわからなかった。うちのけも周囲の人たちが話しているのを聴いてなんとなくこんなものなのかなぁ、と思ったくらいだった。けれど、この一振りからあの「三日月宗近」が出てくるのか、この一振りには1000年の歴史が詰まってるのか、と思うとなんだか奇跡のようなものを目の当たりにしてるんだな、と感じたことは覚えている。

そうなると他の刀も見てみようかな、特に自分が最初に選んだ「山姥切国広」はどんな刀なんだろう、と興味がわかないでもなかったが、その時は「まぁいつか展示されて都合がつけば行こうかな」くらいに軽く考えていた。

さらなる転機が訪れたのが、ちょうど1年ほど前、2016年4月2日のことだ。正確に言えばその日に展示された刀であって、展示が発表されたのはもう少し前の話だが。

倶利伽羅の展示が決定したという知らせである。

倶利伽羅という刀は、所有者が博物館や自治体ではない、らしい。だから三日月宗近をはじめとした博物館所蔵の刀に比べると展示される機会が少ない。この時の展示も、1日だけ、しかも9時から17時という超短時間のチャンスだった。展示が決まった際のサイトには「問い合わせが多数あったので」といった文言があって、それだけ強く望まれたから特例中の特例で展示が実現したのだとわかった。

このときの衝動は自分でもまだよくわからない。気が付けば、現地までの新幹線のチケットを抑えていた。得意でもない早起きをして京都まで新幹線に乗り、エスカレーターの違い*3に戸惑いながら薬師寺までたどり着いた。よく晴れていて、桜がきれいな日だった。

そうして実際に対面した大倶利伽羅という刀をどう思ったか、いまだに言葉ではうまく言い表せない。ただその場にあるだけなのに圧倒されていた。運命の出会いというのがあるとしたら、きっとああいう感情のことを指すのだろう。

帰りの新幹線の中で、「どうしても山姥切国広が見たい」と思ったことも覚えている。

けれど、彼は個人所有の刀である。大倶利伽羅の場合はまだ問い合わせ先があったからよかったものの、こちらはまず「展示してほしい」とどこに言えばいいのかもわからない状況だった*4。一応20年ほど前に展示されたことはあるらしいが、次どんな機会で表舞台に出てくるのかまったくわからない。重要文化財だからそう簡単に場所を移動することもできなさそうだ、というのも少し調べればすぐにわかった。

それでも、私は彼を見たかった。

だから、どうしたら彼が表舞台に出てくるのかを必死で考えた。

展示するというからには、場所が必要である。どこかの美術館・博物館が好意を示してくれなければ、いくら所有者の方が展示したいといっても実現は難しい。じゃあ、場所を提供してくれる好意を引き出すためにはどうしたらいいんだろう…。そう考えを突き詰めていって、私は一つの結論に達した。

これから「山姥切国広」が展示されるまで、刀剣乱舞に出てくるすべての刀の展示を見に行こうと、心に誓った。

美術館・博物館はもとより、展示される地域の自治体が協力的でなければ展示は難しい。そして、自治体が協力するためには展示によるメリット、つまり収益が求められる。展示一つとっても多大なお金がかかることは想像に難くない。それでも展示してくださるからには、見る側として最大限の礼を尽くしたい、そう考えた。この場合の礼とはすなわちお金である。入場料以外にも、できる限り現地での収益に貢献すれば、その様子を見た他の自治体が「こちらも展示を検討してみようか」と思ってくれるかもしれない。その中でもしかしたら山姥切国広が候補に入るかもしれない。そういう理由だ。

たかが個人の、大したことない金額でそんな大きな話が動くわけがないことは自分でもよくわかっている。それでも、希望が少しでも見えるなら、そこに賭けてみたいと思うほど私は彼に会いたかった。

実際どうだったかというと、2016年4月から2017年2月に展示された、刀剣乱舞に実装済の刀剣の「真作」(写し・レプリカを除く)のうち、見に行けなかったのは「数珠丸恒次」「骨喰藤四郎」の2振りだけで、あとはすべて見に行った。北は東北、南は九州まで全国を旅してまわった。日常生活で倹約した分を解放するかのように現地でさまざまなものを買い漁った。そのおかげでだいぶ地酒に強くなった。余禄である。具体的な金額は言わないけれど、想像以上に使っていると思う。自分でも頭おかしいと思うときがある。それでも、ほんのわずかな希望に賭けたかった。

そして2016年10月頃、3回目の転機がある。

山姥切国広展示内定のお知らせである。

正直な話、このニュースを見たときは号泣した。仕事の昼休みだったかに確認して、ちょっとやばいなと思ってしばらくトイレに引きこもった。自分がしてきたことがどれだけ役に立ったかというと、ほとんど関係ないと思う。けれど、このとき確かに報われた思いがした。展示の日程が決まった5分後には前乗りできるようにホテルを予約していた。

そしてついに迎えた2017年3月4日、朝10時30分。多分私はこの日をずっと忘れないんじゃないかと思う。いつか山姥切国広以外のキャラクターが一番好きになったとしても、さらに刀剣乱舞に飽きてその存在を忘れたとしても、多分この日見たものについては忘れない自信がある。ガラス越しに彼に会えた時、少しだけ泣いた。いつからこんなに涙腺が脆くなったんだろうと自分を疑うけれど、彼の話題については泣いてばかりだ。

ほんのわずかな希望に賭けて、自分ができることを最大限尽くしてきてよかったと、心の底から実感した瞬間だった。

だから私は、何か求めるものがあるとして、それが実現する可能性がほんのわずかでもあるなら「実現する」方にすべてを賭ける。たとえ自分にできることが自己満足と言われてもしょうがないようなささやかな行動だったとしても、それが自分の中で報われる瞬間を知ってしまった以上、「実現しないかもしれない」に賭ける気はもう起こりようがない。 自分の前に置かれた選択肢で、最善以外を選ぶつもりはない。

最近、身の回りが本当に激変して心がもやもやすることも少なくないので、決意を改めるのも兼ねてここに書いておく。

*1:筆頭は荒牧さん

*2:存在しないキャラクターなのはわかっているけれど、どうしても「彼」と表記しないと進まない気がするので以後は「彼」と呼称する

*3:何度か関西圏を旅しているけれどいまだに慣れない

*4:以前あった署名活動のことは後ほど知った。詳細はわからないのでここでは書かない