行く末トーキー

はじめからはじめよ

「原作」とは何か

予告通り錆色のアーマ関係の記事続編です。ストーリーとか単純な感想はこちら。

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ちょっと話が逸れるかもしれないが*1アーマのネタバレは避けられないと思うのでご注意ください。

錆色のアーマという舞台は、世界初の「逆2.5次元」プロジェクトらしい。カテコでもちょっと言及されてたけど、今回の舞台が原作となって他のメディアに展開されていくことを想定しているようだ。具体的にどんな方向に伸びていくかは全然告知されてないからわからないけれど。まぁアニメとかゲームとか、舞台続編とか映画とか、可能性はいくらでもある。決まってもいないことをあれこれ考えても意味がないので、今回の舞台が「原作」であるということについて考えてみようと思う。

本編が終わった直後に「この舞台が原作となる」発言を受けて思ったのは「これは原作とは言えないな」という感想だった。脚本がダメだったとかそういう話ではない。2時間で雑賀衆7人+顕如・信長・光秀・数珠坊のキャラを引き立て、締めるところはきちっと締めるいい脚本だったと思う。正直途中で展開が読めていたところはあるがそれをカバーするだけの演出と熱意があったから最後まで飽きることはなかった*2

では何が原因で「原作とは言えない」と感じたかというと、クライマックスの孫一と信長のシーンで孫一の答えが聞けなかったことだ。感想記事で「どういう問いかけだったかわからない」と書いたのは、対になる答えが明かされなかったこともある。基本的に舞台は情報過多だから、少し落ち着いたシーンで台詞を振り返ったり、文脈を補完して記憶したりしている。信長の問いかけも、いよいよ本能寺の変=クライマックス!という盛り上がりの中で発せられたものだったから、多分自分の中では「最後あたりに孫一が答えを出すだろうから、そこでまとめて整理しなおして覚えればいいか」と判断されたんだと思う。でなければわりと重要な台詞なのに覚えていられないわけがない。しかし、最後の孫一の「答え」は本能寺が崩れる音に紛れて聞こえなくなっていた。口パクでは何か言ってたけど顔がぶれるし横顔だしオペラでは限度があって読むことはできなかった。その一点において「次・他を前提としている」と感じて、「原作とは言えない」という結論に至ったような気がする。だから、これが「錆色のアーマシリーズの第1作」であればいい感じに伏線や世界説明ができた作品だと納得できただろう。

そう、舞台の中で説明されないことが多すぎた。感想記事にもあったようにアゲハの過去(双子の姉の性格が憑依してうんぬん)なんて終盤で突然出てきた挙句「次回公演でピックアップされると思う」だし、不如帰が数珠坊に恨みを持つ理由も家族(両親と妹)を殺された?という説明があったがそれ以外の補足はないし。顕如様が孫一の村を襲った理由とか、サラと信長の出会いとか、重要な割に説明されていないことがめちゃくちゃある。多分それらが今後のメディア展開で徐々に明らかになっていくことはわかる。ただ、舞台の脚本としていったん完結してほしかった、というのが正直なところだ。その最たる部分が孫一の答えに集約されてる感じだ。

じゃあ、「シリーズ第1作」と「原作」って何が違うんだろう。2.5次元舞台における原作って何なんだろう、と帰り道に原宿まで歩きながら考えた。

原作と舞台の関係は千差万別だ。自分が現場なりDVDや配信なりで見てきた作品はそう多くはないけれど、舞台という制約がありながらできる限り原作を忠実に再現しようとしているもの(Kステやペダステがこれに近い)から、キャラクタと世界設定だけを借りてきたオリジナルストーリー(ノラステはこっち側)まで、舞台があればその数だけ原作との関係がある。刀ステみたいに、そもそも原作にストーリーらしきものがないものだってある。薄ミュは大まかには原作通りだけど、途中でフェードアウトしたキャラの見せ場をうまく混ぜ込む+過去作とのつながりをにおわせる点で原作とはまた違った世界観を作ってる感じがする。

じゃあ、例えば「舞台 刀剣乱舞 虚伝 燃ゆる本能寺」が最初にあって*3、そこから刀剣乱舞というゲームができました! となったら、刀ステは原作になりうるんだろうか。ノラステからノラガミというストーリーは生まれるだろうか。薄桜鬼、K、ミラージュ、防衛部。それらの舞台が原作となって、別のメディアに展開されるということは考えられるんだろうか。

そうやって考えてみると、私は原作に「世界観の幹」のような役割を求めてるんじゃないかと気づいた。メディアごとにいろいろな制約がかかることはわかるし、その中で生まれるぎりぎりの表現が見たくて舞台を見ているところもある。Kステがいい例かな。Kそのものは超能力バトルがメインで、原作アニメはCGごりごり使ってカメラワーク工夫して超能力のすごさを見せてくるんだけど、舞台ではそれらが一切使えない。だから人の動きや照明で「超能力っぽさ」を出すしかない。それでも、Kが伝えたい「キズナの物語」というところが一切ブレていないから、安心して世界観に浸っていられる。そう考えると、薄ミュも「己の信念を貫く」というテーマがブレてないから好きなのかもしれない。

だいぶ話が逸れたので強引にアーマに戻す。じゃあ、アーマの舞台が世界観の幹になったかと言われると、私は若干心もとない感じがした。先に言った通り孫一の答えが聞こえなかったし、雑賀衆それぞれの事情もチラ見せ程度で終わってしまったし。ここから別のメディアに展開していくとして、何が幹となるのか微妙に伝わってこなかった。中心となる人物は雑賀衆の7人で黒幕が顕如様なのはわかる。ただ、「錆色のアーマを一言で表すなら?」という問いかけに私は答えられない。これから枝葉が茂って一つの大木となるかもしれない作品で、一番ブレちゃいけないところがどこなのか、私にはわからない。舞台としてもう少し話を掘り下げれば、それがわかるかもしれない。だから、シリーズの第1作であって原作ではないと思ったんだろう。

いろいろ書いたけれど、原作に何を求めるかなんてそれこそ人それぞれだから、世界初の逆2.5次元プロジェクトの「原作」の在り方はこういうものだと定義されているのかもしれない。誰もやったことがないことだから、行く末がどうなってるかは誰にもわからない。ただ、このタイミングで錆色のアーマを見たことは自分にとってそれなりの幸運だったと思う。自分の中で当たり前だった「原作」の在り方を見直すきっかけになったし。今後どう展開していくにせよ、細々とでも追っていければなと思っている。

*1:基本下書きしない一発書きだから話がどう転ぶか自分でもわからない

*2:ただしロールスクリーンてめぇはダメだ

*3:義伝はまだ見てないからわからない