行く末トーキー

はじめからはじめよ

逃げ水 ― 舞台「刀剣乱舞」山姥切国広単独行 -日本刀史-

久しぶりに続けて公演見た。帰って寝て起きてご飯食べてすぐ電車乗って同じ場所に行くやつ。マチソワとは違った疲れがある。

でも今回初めてマチネを見たから、劇場出た時の明るさにびっくりした。品川まで歩く時に渡る橋がちょうど夕陽に照らされてて、あー眩しいなーと思いながら帰った。電車に乗ったらみるみるうちに暗くなって、秋の終わりを感じた。冬が近いね。

鑑賞の記録

  • タイトル:舞台「刀剣乱舞」山姥切国広単独行 -日本刀史-
  • 日時:2023/10/22 13時
  • 場所:天王洲 銀河劇場

次に銀劇来るのはいつのどんな作品になるんだろうなぁ。しばらくなさそう。一番好きな劇場だけどなかなか縁がない。

雑感

見るたびに何かを理解して、でも終わる頃には忘れてしまう。何かを理解したという感覚だけが残されている。何を理解したか知りたくて劇場に通う私は、さながら三日月の真意を知りたがるまんばちゃんみたいだなぁ、なんてことを考えた。まんばちゃんに倣って思いを馳せようにも、そもそも自分が何を知りたいのか、何を理解したのかがわからない。ただただまんばちゃんの旅路を祈るばかりである。

Twitter(X)で「三日月と相対する時だけ盆が反時計回りになる」という証言を見かけたので今日はじっと注視してたんだが本当にそうだった。あのシーン以外は常に時計回りだし、照明も9割くらい時計回り。1幕終わりと例のシーンと、あと1箇所くらい微妙に反時計回りがあった……かな? 時計回りと反時計回りが重なり合う時もあったから、照明に関しては違う意図が混じってるかもしれない。でも盆は明らかに意図したものだ。一方向に流れていく時間が、あのシーンでは逆転している。

三日月んばちゃんは悲伝の白い姿ではなく、髪の一房だけが少し色褪せている。まんばちゃんが円環の果てで見た三日月宗近は、あるいは白くなかったのかもしれない。白く見えたのは演劇の都合というか、消えかけているという事象をわかりやすく伝えるための演出で。一房だけ褪せた髪もおそらくは現実のものではない。のかもしれない。どうなんだろう。まんばちゃんが思う三日月宗近はいつもあんな感じだったのかなぁ。

私は何を理解していたんだろう。刀剣男士が極になるためには、彼ら自身の意思という不純物を削ぎ落とす必要があるのかなー、みたいなことを思い浮かべた。三日月を救いたいという感情は刀剣男士の本能(自分は歴史を守るためにここにいる)と相容れないもので、これを持ったままでは極になれない。つまり三日月を救うことは歴史を守ることに繋がらない、もっと言うと歴史を変えることになりかねない行い、かもしれない。

それにしても朧の信長公は誰が思いを馳せた結果生まれた存在なんだろう。今のところ一言も発していない。誰か→朧信長公→朧官兵衛→朧アベンジャーズの順で発生したような気もしなくはない。ジョや綺の官兵衛が信長公に仕えるタマかというとさぁ。違うんじゃない? 朧信長公が自分の、あるいは自分を生んだ誰かの願いを叶えるために軍師的な存在が必要だから黒田官兵衛の欠片を拾って顕現した。朧にしかならなかったけど求める役割は存分に果たしてくれているのでまぁいいかと思ってそのままにしている、とか。

朧信長公を生んだ存在が何を求めているかがちっとも見えてこないよ~~~~。「正しい歴史」を定め、そこから逸脱しそうな流れを修正、場合によっては隔離する在り方のが朧信長公の「すべての信長を統合する」という目的に近いよね? 織田三郎信長の言う「すべての信長を許容する」は、歴史の修正まではいかずとも散逸を肯定する言葉であって。歴史を変えようとしているのはどちら側なんだろう?

かげんばちゃん、顔が見えず身体だけがある状態から、身体はすげ替えられたのに顔はそのままになってしまうのも何か意味があるのかなぁと考えている。デスマスクんばちゃん黒バージョン、て訳にはいかないのか? あのマスク1個しかないとか? 予算?

こんな感じで、上演中ずっといろんなことを考え、何かを理解した感覚はあるのに、それが何だったのかどうしても思い出せない。思いを馳せて決断まで至れたまんばちゃんはやっぱり強い。三日月宗近の姿をしたまんばちゃんが感じた暖かさと、それとは対極にあるような静けさ、寂しさに関する何かだったような気がするんだ……一体私は何を理解したんだろう……?

東京公演は無事終わったみたいだし、この調子で京都と福岡も駆け抜けてほしい。この旅の行き着くところが楽しみでならない。