行く末トーキー

はじめからはじめよ

おたくって面倒くさい

なーという話をします。

えいらぶ黎明をこねくり回す - 行く末トーキー

昨日の記事を書きながら思ったことなので、黎明にも触れています。核心を明示はしないがほのかなネタバレはある。あえて曖昧に範囲を広げた言葉を使うかもしれない。でも全部私がつらつら考えたことです。

こういう日常?記事書くのも久しぶりだね。

そう、おたくは面倒くさい。

実写化において嫌がられるパターンに「原作にはいない、つまり実写オリジナルのキャラクターが話にがっつり絡んでくる」があると思う。原作を期待して見に行ったのに知らないキャラクターが無双してて原作キャラはただのお飾りだった、というパターン。

黎明はこのアンチパターンをすごく気をつけて避けたんだなぁ、とひしひし伝わってくる。でも、話の根幹に「親しい存在の死」という非常に個人的な感情がしっかり絡んでいるから、アンチパターンを避けようとした結果すごく薄味に仕上がってしまった。んじゃないかなぁ。

気遣ってくれるのはありがたいけれど、それなら最初からオリジナルキャラクターの掘り下げを要するテーマを選ばないでほしかったし、テーマをこれにするなら腰を据えてキャラクターをもっと前面に出してほしかった。どっちつかずが本当に惜しい。

でもまぁ、掘り下げた結果オリキャラ無双になって「私にはちょっと合わなかったかなぁ」と敬遠してた可能性は十分ある。さじ加減が本当に難しい。今回の黎明を見て「現代人と刀剣男士が絡むなんて無理!」って拒む人もいただろうし、オリキャラ無双でも全然気にしない人もいるだろうし。ちょうどいい地点を探った結果がこれなのかもしれない。

このバランス、自分でもうまいこと言語化できなくて苦しい。ざっくり言うと「原作を置き去りにしていないか」だが、何をしたら原作を置き去りにしたと感じるかがまた難しい。感覚的な問題なので誰かに説明するための言葉がない。オリキャラの存在そのものが原作を破壊するとは思わないし、オリキャラがメインとなる話も場合によっては受け入れられる。でもどういう場合がOKかが分からない。これを語るには私の語彙や経験値が足りない。

ナンカチガウな実写化作品が出た時に「スタッフは原作を読め」と言われたりもするけど、読んだところでナンカチガウがなくなるとは限らないし、なくならない可能性の方が高い。オリキャラ無双OKの人が原作をごりっごりに読み込んで作ったオリキャラ無双は、オリキャラ以外の部分がどれだけ原作に沿っていてもオリキャラ一切無理派の人には受け入れられないだろうし。逆もまた真なり。

そう思うと、おたく相手の商売ってめちゃくちゃ面倒だな?!って気がしてきた。気がすると言うか、確実に面倒くさい。忠実に作ったら「そのメディアならではの要素がほしい」と言われ、オリジナル要素を混ぜれば「原作読め」と突っ込まれ、バランスを探れば「中度半端」と首を振られる。

めんどくせぇ〜〜〜〜!!!! わがままがすぎる。制作陣に申し訳ないくらいにわがままだ。でも無理なものと平気なものの間にはちゃんと線があるんだ……うまく言い表せないだけで……。

とうらぶワールドにおいて「多少のファンは振り落としてでもこれが描きたい」の極地は今のところ刀ステ禺伝だと思っている。全部見た訳でもないし実際振り落とされた人がいたかは分からないので完全に印象ベース。あえて雑に言っている。でも私は禺伝を楽しいと感じた。刀剣男士を(身体的)女性が演じるのはOKらしい。なんでかと言うと、これまで描いてきた刀ステの物語から軸がブレていなかったし、女性が演じる意味みたいなものを感じ取れたから。制作陣が意図したものを受け取れたかではなく、私の中で「これはこういうつもりで作ったんだろう」と落ち着く先を見つけられるかどうかが鍵となる。

やっぱ個人的な解釈じゃん!!!!めんどくさい!!!!!私だったら絶対こんなわがまま相手に商売したくない!!!!!!!!!!!!!

自分の中のめんどくささを自覚してめんどくせぇ〜〜〜〜!って悶え苦しんでいる。それだけ。こんなめんどくさい人を顧客だと思ってくれることをむしろ感謝した方がいいのかもしれない。時間とお金をどの程度費やすかはまた別の問題だけど、自分の面倒臭さを棚上げして作品を評価しないようには気をつけたいね。