行く末トーキー

はじめからはじめよ

語る/語られる―舞台「刀剣乱舞」天伝 蒼空の兵 -大坂冬の陣-

今日はあいにくの曇り。終わってから月島方面へ歩いてたら晴れ間が見えた。あのへん空が広く感じてスッキリするよね。

鑑賞の記録

  • タイトル:舞台「刀剣乱舞」天伝 蒼空の兵 -大坂冬の陣-
  • 日時:2021年1月27日 11時
  • 場所:IHIステージアラウンド東京

座席位置

ど真ん中あたり。今日はそんなに寒くなかった。そもそも気温が高めだったからかなぁ。

そういえば今日は規制退場が後ろの方からだけで、半分弱が出てから前方の案内だった。どっちにせよ真ん中の真ん中は一番最後だから置いといて、前方だから早く出られる!っていう思い込みは危険かもしれない。

雑感

ちょっと後ろに下がったことでようやく全体像が掴めた。舞台の上は見えるんだけど、その両脇のスクリーンに何か写ってるのに気付いたというか。たとえば信繁殿が九十九刀を手にしたシーンの両脇に信繁殿の顔と刀が写ってるのは今日初めて知った。

そして引きで見ると照明がえらい綺麗。公演ダイジェストの1分37秒あたりのパキーーーーーンっていうやつがもう初日からものすごく好きすぎて好きなんだけど、これ後ろの方がよく見えるなと分かった。

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他の劇場に比べると照明の色が鮮やかに感じる。そういう風に作ったのか、それともステアラの作りがそうなのかは分からない。特に赤が顕著だから、真田丸のシーンとか無条件にテンションが上がる。もう知ってるのに、最初に真田丸が出てきた時に「ウオーーーーーーーーーー!」ってなるもん。あの興奮だけで4000円くらいの価値ある。

それはそうと、前回の記事で微妙に書いた「歴史とは何か」の続きを書こう。

刀剣男士っていう存在は刀に逸話≒人々が語り継いだ心が宿り、審神者のちからによって人の形を得たもの、らしい。少なくとも刀ステ世界ではそういう認識。この「語り継ぐ」行いって、愛してなきゃできないことだよなぁと今日改めて気付いた。刀そのものが愛されたか、その刀の持ち主が愛されたかの違いはあれど、この話を後に残したいっていう衝動は愛ゆえに起こるものだと思う。だから「俺達の逸話と付け焼き刃の逸話を同列に語るな!」って声を荒げるのも分かる。たくさんの人たちに愛された記憶そのものを軽んじられたんだから怒るのも当然というか。まんばちゃんにとってはほぼイコール比較され続けた歴史でもあるけれど、それでも愛されていたことには違いない訳で。

今回出てくる藤四郎の刀たちはどこか記憶が欠けてて、けれど刀剣男士としての実体を持ってる。これも多分「骨喰藤四郎とは、鯰尾藤四郎とは、一期一振とはこういう刀だ」って人々がずっと語り続けたからこそ生まれた形なんだろう。

そう考えると、歴史っていうのは、自分が何者であるかの宣言と、それを愛した人の語り継ぐという行いの積み重ねなのかもしれないと思った。

秀頼様が太閤に「すまなかったな、手元に置いてやれなくて」って謝るシーンの優しさが好きなんだけど、あれもひとつの愛だ。豊太閤と秀頼様が大事に大事にしてきた太閤左文字が、秀頼様のことを「青空」と呼ぶ。愛された記憶を持ち主に渡して、それで持ち主が前に進むきっかけを作るっていう循環がとても綺麗だった。

うーーーーん前回よりちょっと進んだけどまだ分からないな……。今までの刀ステも踏まえてさらに深いところに切り込んできた感覚はあるんだけど、それを上手く表す言葉がない。というかニコ生見て荒牧さんのシャンプー事情を知ってしまってから記憶が飛んだ。あの人、スーパーやドラッグストアで適当に目についたシャンプーだけであのサラサラヘアを維持してるそうです。やばくない? 荒牧慶彦30歳、もうすぐ31歳。

覚書なので散らばってるけどこのへんで。