行く末トーキー

はじめからはじめよ

腹立たしいほどの嫉妬を覚える

いつもタイトルに悩むんだけど今回はすんなり決まった感じがする。

ただの書きなぐりみたいなものだしあんまりいい内容でもないしほぼ自分語りだし、我に返ったら消すかもしれない。

仕事の昼休み、Twitterを眺めていてあるインタビュー記事に出会った。

news.livedoor.com

最初に彼のファンには全力で謝罪する。ごめんなさい。ここからの文章は正直言って自分でも頭がおかしいと思う。けれど一切の嘘はついていない。

読み終わってすぐ、衝動的にチケットを抑えた。東京喰種は長い間原作を追っていて原作至上主義だと思っているから縁がないしむしろ避けていた向きもあった*1けれど、このインタビューを読んだうえで舞台を避けることはできそうになかった。今はdアニメストアで舞台1作目を見ている。

松田凌という役者が演じるところは、まだ映像でしか見たことがない。全作を見たわけでもない。荒牧さんが出る作品を見るようになってすぐに見たKのシロと、薄ミュマラソンの過程で出会う斎藤一だけだ。だからファンとかそういう立場を名乗れる存在ですらない。茶の間とも言えない。好きかどうかも判断できない。

それでも、松田凌という役者はなんとなく特別な位置にいる。生で会ったこともないのに。それは多分、この世界を知って最初に覚えた数人の役者のなかで、最も年が近いからだと思う。ほんの数日、ほんの数日だ。そのわずかな差で、あそこまで強烈な言葉が紡げるようになるなんて。

言葉を愛した者としてものすごく嫉妬した。腹が立つほどに、何かを投げつけたくなるくらいに、言葉が刺さった。刺さったことを認めたくないくらいには嫉妬した。

僕は『東京喰種トーキョーグール』っていう作品と金木役を、「やりたくない」とは思えなかったです。「やりたい」って言葉にするより、「やりたくない」とは思えないっていう感じ…。役者として嘘はつけなかったんです。……言葉で表現すると難しいですね(笑)。

もちろん彼が私には想像もできないくらい努力していることはわかる。心の底から納得している。それでも私だって心をすり減らしながら努力したし、今だって、今だってできる限りのことはしている。

それなのにどうして。

どうして、

どうして、

彼が羨ましい。努力した結果がきちんと目に見える形で戻ってきていて、一番好きなことができていて。羨ましいどころじゃない、妬ましい。生きる世界が違うことは重々承知なのに。わかっているはずなのに自分の中で嫉妬が止められない。

世の中には努力することすら許されないことがあると身をもって知ってしまった立場からすれば、彼がどうしようもなく羨ましい。努力できることが羨ましい。自分の努力で戦えることがこの上なく妬ましい。報われるかどうかじゃない。その始まりに立てていることが羨ましい。始まりに立つこともできなかったわが身を見たくない。目をそらしていたはずのものを突き付けられて、今まで現実を見ないでいたことを思い知らされる。そんな言葉を発せられる存在が純粋に羨ましい。彼のようになりたいとかそういうんじゃない。断じてそんなことじゃない。私だって、許されるなら努力したかった。そういう認めたくなかった感情を暴かれたことがどうしようもなく悔しいし、それができた言葉が、その言葉を発した才能が羨ましい。

けれど同時に、ここまで刺さる言葉に出会えて涙が出るほどにうれしい。読み返すたびにずたぼろにされるけれど、それでもここまで心を揺さぶる言葉に出会えたことは本当に幸いだ。振り切ったはずの感情をここまでこじ開けられるとは思っていなかった。それほどまでに妬ましいし、羨ましいし、どうしようもなく憧れる。

劇場に行くのがこれほどまでに恐ろしいと思ったことはない。けれど行かなければ絶対に後悔する。だから行くことにした。

*1:アニメも見てない