行く末トーキー

はじめからはじめよ

ミュの話

とうミュと私の話。

※ 人によっては嫌だと感じる表現も含まれます。

ミュ、私の中では「うちの本丸からはずっと離れた場所にある本丸」という位置づけだった。明確に「解釈違い」という概念を意識したきっかけでもある。

それまでは、何が来ても「そういう考え方もあるよね」と受け止めてから「好き」か「そうでもない」かを分けていた。「そうでもない」に分類された表現は、積極的に探したりはしないけれど、流れてきたら眺めて「なるほど」と頷き、改めて分類し直すくらいの距離感を保って生きてきた。いわゆる「地雷」がなかったとも言う。

でも、ミュは「理解できないもの」だった。どう受け止めたらいいか分からなくて、したがって「好き」か「そうでもない」かも判断できず、ただ遠ざけるしかない表現だった。

ミュが好きな人がたくさんいることは知っている。そういう人たちの間に「あれが分からないんだ」と割って入るつもりはない。けれど言い方によっては文句をつけていると取られかねないとも理解していたから、ミュに関して発言することそのものが少し怖かった。

ミュージカルという表現形式は「そういうものもあるよね」と理解している。セリフや動きだけでなく、メロディやハーモニーも使っうことで、よりたくさんの内容を伝えられる。面白い手法だよね。ストレートプレイに比べると聞き取りに労力がかかるけど、その分得られる情報も増える。まだあまり深く知らない分野だからもっといろいろな作品を見て経験を積みたいと思っている。

私が理解できないのは、2部の形式であり、もっと言えば2部が「現代における戦い」と称されていることだ。

2部は、刀剣男士たちが公式にない衣装をまとって、公式にない歌を歌う。ダンスもする。まるでアイドルだ。2205年とはいえ「モノ」として生きた時間の方が長い彼らがカタカナ語や英語を使いこなす姿や、ファンサービスと称して手を振ったりする姿が、私にはどうしても理解できなかった。

これが「刀剣男士がアイドル業をやってみたら」という設定の作品だったら、まだ「そういうものもある」と落ち着く場所を見つけられたかもしれない。二次創作でそういう設定を使った作品は見たことがある。だが、ミュの2部は「現代における戦い」らしい。

何のために、何と戦っているんだろう?

ここが思い切り引っかかって、引っかかり続けて、うまく飲み込めないまま数年が経った。ミュが好きな人の感情を尊重しつつこの疑問をぶつける方法が分からないから、分からないまま保存しておくしかなかった。親しい人にはぽろっと口にしたりもしたけど、やっぱりうまく伝えられる気がしなくて、結局諦めてしまった。

私にとって刀剣男士は「歴史を守るために顕現した付喪神」だ。なぜ歴史を守るのか、そもそも守るべき歴史とは何か、っていう部分にはいくつか疑問があるけれど、とにかく「守るために戦う」存在であることは確かだ。

じゃあ、2部の彼らは? 彼らも「守るために戦う」存在なのか? 歌い踊ることで何と戦うのか?

この疑問に自分なりの答えを見つけられない限り、私はミュが「好き」なのか「そうでもない」のかを判断できない。なのに考えても考えても分からないし、考えるたびに分からないことへの罪悪感みたいなものを覚えて居心地は悪くなるし、分かったところでそれを伝えられる相手もいない。だから口を閉じて、遠ざけることで自分を守っていた。

そういう訳にもいかないかもしれないと思い始めたのが、だいたい1年半くらい前かな。ステに清光が出ると知った頃だ。なんとなく、まんばと清光はそれぞれの本丸の初期刀*1で、お互い反対側には出ないんだろうと思っていた。しかしステに清光が出た。ということはミュに山姥切国広が出る可能性もある。表現形式がどうとか言う以前に私は山姥切国広が「好き」なので、彼が出るなら見るしかない。でも私はあの疑問に答えられていない。どうしよう。でも怖い。答えが見つからないことが怖い。好きなものに囲まれて生きていたいのに、こんな意味のわからない疑問に時間を使いたくない。なんかよく分からない感情の板挟みになったまま、直視したり目を背けたりしていた。

そんな折、ミュの刀剣男士が何かのテレビ番組に出た。番組名や時間帯は分からないし番組そのものは見ていない。ただ、おそらく放送時間中に、1つのTweetが流れてきた。確か大まかにこんな文言だった。

今TVに出た○○という刀は現在行方が分からなくなっています。情報をご存じの方は提供してください!

(刀の名前は覚えているけれど本筋とは関係ないので伏せる)

なるほど、そういう考え方もあるのか。ずっと分からずにいた問題の答えが少し掴めた気がした。

ご時勢もあって、以前より舞台作品が配信される機会は増えた。現地に行くよりずっと簡単に舞台作品に触れられるようになった。けれどまだ「その作品(モチーフ・原作・出演者・制作陣など)に興味がある人」が見やすくなっただけで、興味がない、というよりそもそも知らない人に向けて開けた世界とは言えない。一方、テレビ番組、特に音楽番組は、なんとなく流している、あるいは別の曲に興味があって番組を見ている人にも情報を届けられる。興味を持つきっかけを提供できる。

これは確かに、2部の彼らだからこそできる戦い方かもしれない。「曲」という比較的短い時間で価値を伝えられるのは強い。彼らのパフォーマンスを通じて何か新しい情報が得られるかもしれない。もしかしたら存在しないとされる刀が見つかるかもしれない。戦力が増えるかもしれない。

まだ「これだ!」と言えるほど固まった答えはないけれど、考えるための糸口は得られた。現地で見てもなお分かったとは言えない「2部の彼ら」について、ちょっと前向きに考えられるようになった。

考えた末に結局「そうでもない」に分類されたとしても、何も分からず遠ざけるしかなかった頃に比べればずっと良い。「そうでもない」ものはいずれ「好き」になる可能性を秘めているからね。

誰かに言うほどの話でもないから、こうやってブログに書いた。久しぶりに感想以外を書いたな。書くと頭が整理されるのでもっと記事を増やしたいところ。

*1:事実はともかくそういう認識でいた