行く末トーキー

はじめからはじめよ

邪道 ― 「バクマン。」THE STAGE

山手線が止まってたのでホームの写真を撮るなどした。もうほとんど人出も元通りって感じがする。

観劇の記録

座席位置

上手だと思っただろ。下手なんだ。やったね。

ちょうどスピーカーの真ん前だったのか、特に低音がズンと来た。

雑感

やっぱ何回か入る時はいろんな席で見たいよな。新しい景色がたくさんあった。OP(推定)までダラッとしてた平丸氏がいきなり鋭く踊り始める瞬間に「下手引けてよかったーーーーー!」ってなった。自然と目に入るものが違うので新鮮な気分だった。

さすがに上手4回も入れば大まかな表情は覚えるもので、今日は見えてないけど多分あんな顔してるんだよなぁと自分で補完しながら見る舞台は楽しい。

未だに「なんで水を使ったんだろう」とあれこれ考えてるんだけど、なんというか、舞台じゃなきゃできないこと、舞台ではできないことを突き詰めていった結果生まれた表現なのかもしれないというところに落ち着いた。

漫画と同じように、舞台には「そういう風に見て欲しい」というお約束がいっぱいある。同じセットでも教室になったりエイジの仕事場になったり、スポットライトひとつでアズキを表したりね。作中作(劇中劇)とか、途中で時間軸がちょっと戻るとかは、漫画的な表現に馴染んでないとうまく伝わらないのではなかろうか。原作が漫画を題材にしているから、劇中の表現も漫画を踏襲しているように見える。サイコーのモノローグは漫画で言うところの四角い枠で表されたモノローグだろうし。

別に、バクマン。を舞台化するにあたって舞台の上にプールを作る必要はどこにもない。むしろ最前列に雨合羽配ったり衣装乾かしたり靴の滑り止めを用意したりっていう手間ばっかりかかる。ただでさえ何かあったら*1即中止っていうリスクを背負ってるのにさらに大変な方向に突き進む。そうまでして水を使いたかったのは、多分、それが舞台でしかできないと判断したからなんじゃないかなぁ……と思った。

アニメや実写映画にもなっている漫画を舞台でどう表現するか。他のメディアミックスと何を変えていくか。舞台でしかできないことは何か。舞台は「お約束」がたくさんあって、観客側も想像力を働かせる用意ができている(だろう)。なら、再現する方向ではなく、漫画独特の「お約束」と舞台の「お約束」を融合したらもっと面白いものができる……って考えて、いっそのこと原作には全く関係ない「水」を入れてみようって発想に至ったのかな。

あっ、これいわゆる「邪道」って考え方に近いね。今気付いた。原作に忠実に忠実に作っていくのが王道なら、再現度ではない尺度で勝負を仕掛けていく今作の手法は邪道って言える気がする。作中で服部さんの言う「これ絶対やっちゃだめだよなー」ってのは、たとえばキャラビズが上半身しか再現できてない(一応再現されるけどそれはもう最終盤)とか、メインキャラの1人がお面つけた兼役とかが当てはまる。2.5次元における邪道を突き詰めるとこうなるのかもしれない。

もちろん「好きなキャラがそこにいる」っていう2.5次元の醍醐味を期待して来た人からすれば、邪道とも言える表現を使った今作は肩透かしもいいとこだと思う。だから「これが2.5次元舞台の代表作(≒王道)です!」みたいな顔で出されたらさすがにちょっと微妙な感じになる。でも、亜城木夢叶の作品のように「邪道でも面白い」って線にはすごくぴったりハマってる。だから面白いのかなぁ。

こういうのもアリだよねって思えるようになった自分がちょっと嬉しい。前までなら「なんでこんなことしたぁ!」ってイラっとして終わりだった。感想文の書き方は一向に上達しないどころか下手くそになってる可能性さえあるけど、見ることで積み重なるものはあったみたいだ。

*1:座組で発熱した人が出たとか、外部から要請があったとか、心がけるだけではどうにもならない事情はたくさんある