行く末トーキー

はじめからはじめよ

のこされたもの ― ミュージカル 薄桜鬼 志譚 土方歳三篇

函館は、今が桜の見頃だそうです。

観劇の記録

  • タイトル:ミュージカル 薄桜鬼 志譚 土方歳三
  • 日時:2018年4月29日 13時
  • 場所:明治座

座席

1階上手端。プレミアムなのに若干見切れてて落ち込んだ…。せめて舞台が端から端まできちんと見える席をご用意されたかったなぁ。

花道はきちんと見えた。でも、2階からのほうが照明は綺麗に見えるから一長一短な感じもする…。こういうところが劇場の難しいところで、おもしろいところでもある。

雑感

昨日見たときは、過去に上演された「土方篇」や、過去に出演したキャストたちに囚われていた。他にもいろいろな思いがあったはずなのに…。詳しくは昨日の記事で。

goodbye-talkie.hatenadiary.jp

今日は、だいたいの流れは把握していたから、比較的落ち着いて見ていた。それでも、総司や土方が出てくれば「ああ、あの人だったら」と思うことは止められない。この台詞はもうちょっと間を置いたんじゃないかとか、振り抜く速さが違う気がするとか、そんな些細なことに引っかかっていた。今回演じていたキャストに何か気がかりな点があったわけではない。これは完全に私の中の問題なのだ。

でも、これはもうどうしようもないのかもしれない、と、1幕の終盤、一番好きな曲のイントロがかかる頃に感じた。開き直りとも言う。

舞台の感想というのは、私にとっては「あの場にいて【私が】何を感じたのか」という問いかけに答えるようなものだ。だから、この問いには私しか答えられない。この答えには、私のこれまでが全部詰め込まれた上で「あの場にいて感じたこと」だから、過去に見た作品を見なかったことにはできない。過去の作品を見た上で、改めて「志譚の土方篇」について考えたことを書こうと思う。

この作品は、1巡目の終わり、2巡目の始まりとして、文字通り「新生」されたんだ…と思う。

これまでは、過去に聞いたものと同じフレーズ、同じ曲が混ざることはあっても、基本的に「別の作品」だった。中心となるキャラクターが変わるし、新曲も増えるし、物語の結末もバラバラだった。そうして作ってきた「1巡目(斎藤篇~原田篇)」を「ミュージカル薄桜鬼」の原作として、新たに作り直したものが「志譚」シリーズになる予感がする。変わるものと変わらないものがある中で、これまでの5年間で作り上げてきた「ミュージカル薄桜鬼」の物語を「変わらないもの」としてのこしたんじゃないかなぁ…。まだ「志譚」は1作しかやってないし、これから続くかも、続いたとしてその後の形式がどうなるかもわからないけど。

キャストが変わっても、物語が変わらない。初代から着々と積み上げられてきた上に「今」があるんだなぁと思うと、ちょっと涙が出てくる。壮大な話だ…。

今はまだこれ以上のことは書けそうにないんだけれど、やっぱり薄ミュが好きだなって思えた。

まだ1巡目にとりのこされたものって感じがするけれど、少しずつ「志譚」と向き合っていきたい。

その他

山南さんの声量がお化けだった…一人だけマイクの音量がMAXになってたんじゃないかレベルでめっちゃ聞こえた。すごい。というかマイク通さない肉声が聞こえたような気もする…。

「哀れな亡者」(曲名は1巡目土方篇準拠)で羅刹になった後の「あ~~ああ~~~~あ~~~~」の頭の「あ」の濁り具合?絞り出した感じ?がものすごく悲壮で…そこでまず泣いた。つらい。今回の山南さん、全体的に若くなった…というか、感情の動き、特に激しているところがわかりやすくなった感じがして、それで余計に山南さんの無念さ、絶望を突き刺されて死んだ。あと千鶴との距離がいちいちネットリと近い。山南篇待ってるんだけどやりませんかね…。2巡目入っちゃったから難しいかな…。

千鶴が小太刀ではなく普通の刀(井上さんが使っていたもの)を構えると、千鶴の小ささが改めてわかった…。千鶴小さかった…。ミニマムだった。斎藤・藤堂(・山崎)の新選組小さめサイズたちが構えてもそうでもないのに、千鶴だと「あ~~~~~千鶴ちっちゃ~~~~~~」ってなるの、ちょっと不思議な感じがする。

総司の死にそう度が上がってた。推しさんの総司は健康すぎて、どう頑張っても死にそうになかったから…。年末に見た舞台の印象もあって、手負いの狼っぽいなぁ、と。近藤さんへの依存度はそこまで高くないけど、新選組の刀であることのプライドに固執してるように見えた。

総司と言えば、風間が童子切安綱を持ち出した後の「この人に恨みを持ってるのはあんただけじゃないんだ」という台詞の言い回しが少し気になった。これ、この台詞そのものを誰に言っているのか、また「この人」と「あんた(今回は「きみ」だったように思う)」が土方・風間でも、風間・土方でも通る台詞だなぁと少し前に気づいて、

  • (風間に向かって)土方に恨みを持ってるのは風間だけじゃない → 近藤さんを見捨てた土方への恨み
  • (土方に向かって)風間に恨みを持ってるのは土方だけじゃない → 新選組を追い込む風間への恨み?

どっちかというと前者の意味合いのほうが強いのかな...とぼんやり考えていた。今回は、言い方だけを見ると後者が強いように思うけれど、その後の展開(近藤さんが処刑されたことを総司が土方に伝える)を考えると前者な気もしなくはない...どっちだろう...と引っかかった。考え過ぎかな?

最初から最後まで桜が舞い落ちる作品なわけだけど、途中で、どこかにひっかかってたものが、ひらひらと落ちてくるのは、見るたびに「このシーンは土方/千鶴の思い出の一幕なんだ」と突きつけられるように思う。2人の、そして新選組の思い出は、きっと舞い落ちる桜と一緒にあったんだろう。

以上!