行く末トーキー

はじめからはじめよ

変わるものと変わらないもの ― ミュージカル薄桜鬼 志譚 土方歳三篇

初!明治座!デビュー!

観劇の記録

  • タイトル:ミュージカル薄桜鬼 志譚 土方歳三
  • 日時:2018年4月28日 18時
  • 場所:明治座

ネタバレとか演出バレとかあります。あと普段以上に感想というかポエムです…。

劇場や座席位置について

明治座、るひま関係の何かを上演している場所、という認識しかなくて、食べ物がいっぱい売ってることくらいしか把握しなかった。それでチケットがえらい高いってんならなんか損なような気もしなくはない…みたいな。今回は特に、開演前でも客席で飲食できないから、買ったところでなぁ…と思っていた。

それが今日実際に劇場に赴いてみたら、いろいろな設備の充実具合にびっくりした…。確かに食べ物は売ってたし、お土産類も充実してた。お手洗いの数もたくさんあるし誘導もしっかりしてるし、あとなんだか高そうなシャンデリアあるし…。やっぱり高いものにはそれなりの理由があるんだなぁ。

座席は2階の上手。エアヴィーヴのクッションがあったんだけど、あれはどうやって使うべきだったんだろう? ひとまずおしりに敷いてみたけれど特に有用性を感じない…むしろ滑る分踏ん張らなきゃいけなくてすぐ外した。舞台との距離は思っていたより遠くなかったけど、花道はほとんど見えなかった。床に桜がプリントされてるところ(せり上がったりするとこ)がギリギリ見えるかな~~~~~~って感じ。花道でなにかある時はそのへんが明るくなるから、あっ今なんかやってるんだな、ってわかる。でも見えない。ちょっとつらい…。円盤に期待します。

雑感

いまとてもしんどい。

先に前提となる状況を書いておく。

薄桜鬼(原作)はPSP版で全ルートまわっていて、黎明録とか真改は持っていない。予習のためだから原作やりこんでました!という人ではない。薄ミュは前回の原田篇だけ劇場で見て、他は円盤や配信で一通り目を通している。各種CDは借りてiPodに突っ込んで、たまに聞いている。奇譚・LIVE2・原田篇も音源CD出ませんか?

薄桜鬼のキャラの中で一番好きなのは山南さん、推しさんが演じてたのは総司、一番好きな薄ミュは土方篇。好きなシーンは土方篇の仙台城。ヤイサ以外(ヤイサは殿堂入り)で一番好きな曲は「いつか誠に」。もしタイムマシンで過去に戻って、1作品だけ劇場で見れるとしたら、薄ミュ土方篇かミラステ(ブギヴギ)かでものすごく悩む程度には好き…。

リアルタイムで追っていた時間は短いから、古参の方々につっこまれたらひとたまりもない。でも、推しさんが出ないとわかっても、チケット代がほかと比べてお高めでも、見に行こうと思って先行でチケットを抑えたくらいには「薄ミュ」という作品が好きです。

推しさん関係で言うなら、推しさんが演じているところを劇場で見た上でのキャス変は初めて。というか、推しさんに限らず「キャス変の前後両方を劇場で見る」というのは初めてかもしれない。こういうとき、自分はまだまだ新参者なんだなぁと思う。

見た人ならこの時点でいろいろ察してくれると嬉しいです…。

新生薄ミュやります!ってなって、推しさんが出ないと知って、キャストの大半も入れ替わったところを見て、ああ、ガラリと変えるつもりなんだろうな、ヤイサは残ればいいなぁ、くらいのことをのんびりと考えていた。

今日見たものは、私が劇場で見たいと渇望していた「あの土方篇」に限りなく近い「何か」だった。

今はしんどいの一心で薄ミュについて調べることができないんだけど、多分新曲はテーマ曲?の1つだけで、あとはアレンジや歌割りの差はあれどほぼ同じ曲だった。と思う。

でもこの作品は「志譚の土方篇」であって「あの土方篇」ではない。

あ、総司出てきた、と(なかば無意識で)双眼鏡を構えても、当然ながらレンズ越しに見えるのは別の人で。でも総司は総司のままで、「あの土方篇」と同じようにPaint it Bloodを歌ったりする。当然初代とも2代目とも違う歌い方、違う立ち居振る舞いだし、殺陣の癖も違う。

どう受け取れば良いんだろう、というのが正直な感想に近い。あの歌もこの歌も、なんなら一番好きな「いつか誠に」だってあったのに、それは私が繰り返し聴き込んだ「あの」曲ではない。同じ歌詞、同じメロディー、同じパート割。きっと劇場で聞いたらこんなだろうな…と思ったとおり、でも少し違う響き方。

「賢い女だと 思っていたが」

この瞬間涙が溢れた。ここまで焦がれていたことに自分でもびっくりした。

でもこの作品は「志譚の土方篇」であって「あの土方篇」ではない。

「落胆したぞ」の部分はオクターブ下だし、そもそも初代と今の人じゃあ違って当たり前だ。でもどうしたって比べてしまう。変わらなかった部分を見てはあれこれ考えてしまう。比べることでしか受け止められない。

休憩中に、隣の方は「XXくんすごくよかった」とか「ここのシーンが」と楽しそうに同行者の方と話し込んでいた。そう、そうやって受け止めるべきなんだ。彼らが「11作目」として作り上げた「志譚の土方篇」を、まっさらな心で受け止めるべきなんだ。

わかっていても心がついていかない。

ヤイサのイントロがかかって、「鬼として認められるために戦ってきたわけじゃねぇんだがな、長くは遊べねぇがそれでいいだろ」に答えた「いいだろう」が「あの土方篇」と同じトーン(原田篇ではオクターブ下だった)だったときにまた泣いた。

変わるものもあれば、変わらないものもある。

この作品は「志譚の土方篇」であって「あの土方篇」ではない。

新生と銘打って、変わらない部分を残したその理由を、私はまだ受け止められないでいる。