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はじめからはじめよ

お前は何者だ? ― 舞台「刀剣乱舞」天伝 蒼空の兵 大坂冬の陣

荒牧さん31歳の誕生日おめでとうございます〜〜〜〜〜! めでたいめでたい。しんどいことが多いからこそ、お祝い事がありがたいよね。

鑑賞の記録

  • タイトル:舞台「刀剣乱舞」天伝 蒼空の兵 大坂冬の陣
  • 日時:2021年2月5日 16時
  • 場所:IHIステージアラウンド東京

座席位置

真ん中あたりの上手。一度でいいからフェイスシールドいるかどうかの席に座ってみたいなぁ。結構偏ってる。

雑感

3日に字幕眼鏡を使ったおかげで、1つ新しいレイヤーを手にした気分だ。今日はカウンターなかったから借りられなかったかもしれない。ここはこういう言い回しで、こういう字を使ってて、っていう補完が自力でできる。普段なら円盤が出て戯曲が出て、そのページをめくりながら「なるほどなぁ」って唸る作業が一足先にできる。

それはそうと、今回のサブタイにもある「蒼空」のくだりが初日を見たときからずっと引っかかってて、字幕で補完して今日改めて見て、自分なりにようやく落ち着けそうな解釈が見つかった。

秀頼様の「(秀頼/一期)は何者なんだ」っていう問いかけが一期にとってどういう意味を持つか、という話で。秀頼様にとっては「豊臣秀吉の息子」という枕詞を除いた後に残るものは何か、自分は何をすべきか、っていう……なんだろう、若い人に特有の、って言うと少し違うけれど「これからどうしたいか」っていう方面の問いかけだと思う。

一方で、この時点での一期一振は過去に縋っている自覚がある。朧げな記憶を手繰り寄せ、良き兄でいることに縋ってようやく「一期一振」でいられる。脆いとはいえアイデンティティの源である豊臣を滅亡する歴史を守ることが、果たして本当に正しいのか、自分には可能なのか、それを成してしまった後も自分は自分でいられるのだろうか、という種類の問いかけではないかと気付いた。

だから太閤が「一期っちも蒼空だよ」って言った時に、たとえ豊臣が滅びる歴史を守ろうと、自分は豊臣の刀であり続けて、そして今こうして秀頼様と向かい合ってるんだ、という確信が持てて迷いが晴れた……んじゃないかなぁ?と思った。その後の「今はただ刀を振るう。迷いで曇らせる訳にはいかんのです」はこの流れで出てきた台詞だとするとそこそこ筋は通る。

秀頼様は「秀吉の息子である」という事実を認め、受け入れるために「蒼空」が必要だった。太閤は確かに父親が(その名を与えるほど)愛した刀で、自分もその刀を持っていた記憶がある。太閤自身も親子両方のことを覚えている。この繋がりがあって初めて豊臣親子の繋がりが腹の底から納得できた、と解釈した。

どうだろう? とりあえず今はこんな風に考えてるけど、また何度か見るうちに変わってきそうな感じもする。

まんばちゃんは如の時点で「(写しであることも含めて)俺は俺だ」って吹っ切れてるから、最後のシーンで一期に「藤四郎たちの兄で、かつて豊臣にあった刀」と言える。刀であった頃は、人からどう言われるか=どんな逸話があるかという視点しか持ち得なかった彼らが、人の身を得て初めて「自分とはこういう存在である」って名乗れる。この変化が一期にも訪れたか、そのきっかけくらいはもらえたように見えた。

EDの振り付けがなんかどこかで見覚えがあるんだよな〜って気にかかるので週末は過去作品のEDだけでも見直してみようかな。