行く末トーキー

はじめからはじめよ

答え ― BSP「戦場の翼」

あっっっっっっっつい!!!!!! 梅雨!!!!!!ムシムシする!!!!!!!

観劇の記録

  • タイトル:ブルーシャトルプロデュース「戦場の翼」
  • 日時:2019年6月28日 19時
  • 場所:代官山シアター

座席位置

真ん中あたり。あ、今日はさすがに迷わなかった。

自分の脳内がなぜか銀劇に最適化されてて、座席番号を見て「だいたいこのへんだな」って思うのが銀劇規準なんだよね。だから今回は「お、思ったより近いな」→ 26日に代官山シアターへ行く → 「いやそうでもないな?」 → 今日「やっぱ近い!」っていう謎の思考が挟まってた。なぜ銀劇なのかは自分でも分からん。いろんな演目見てるからかな。

雑感

やっぱりカロリー消費するよなぁ。見終わった後の甘い物食べたさが半端ない。普段あまり使わない部分をフル回転させてるような感じがする。あとやっぱり終わる頃には劇場内の温度結構上がってる。前回の反省を生かして上着なしで観劇したんだが、カーテンコールの時はそれでちょうどよかった。暑いって文句というより、そのくらい熱中したんだなっていう感想な。ここまではっきり温度が上がったのが分かる舞台ってのもあんまりない(経験した中だと「ウエアハウス」くらい?)から強く印象に残っている。

前回で話の流れは大まかに理解したから、今回はより細かなところに目が行った。それで思うんだけど、BSP独特の文法というか、目と耳から受け取った情報で「今こんな場面」って想像するための力って、どこで身についたんだろう? たとえばこの作品の最初の場面は、ヘリコプター?に乗っている操縦士・老人・作家の3人とそれを取り囲む雲を表してるけど、なぜそれが分かるんだろう? 役者の仕草と台詞だけで場面を想像する力がないとついていけない作品だってのは確かだ。じゃあ自分はどこでそれを身につけた? 初めてBSP作品を(映像で)見た時は「なんだこれ?!」ってびっくりするばかりで若干置いていかれてたように思う。けれど劇場で初めて見た時はもうついていけてた。すごくよく練られてるのはもちろんなんだけど、自分の「演劇を見る力」が育ってたんだなと今更に気付いた。

冷静な頭で考えると、なんで場面転換後にすぐ「あっ今こういうところ」って受け取れるか不思議でたまらないんだよね。人間が飛行機になり、空母になる。飛行機のサイズ感も様々だし……。そして1人何役もこなすけど、そこで「あれ今この人何の役だっけ」ともならない。名もなき兵士たちが入れ替わり立ち替わり出てくるんだけど、それでも「お前さっき死んだじゃん」ってならない。ちゃんと別の人だって認識してる。出演者は全部で11人、だけどそれ以上の人数がそこにいるように思える。

これ、よく考えるとすごくない????? なんでついていけてるんだ自分????? そりゃお腹も減るわな。意識してないだけで相当頭使ってるんだろう。

話の内容に踏み込むと、今日は「答えなど、明日にならなければ分かりません」(第1話・堀越二郎)って台詞がなぜかひっかかった。彼は何の答えを探していたんだろう。自分が作った飛行機が美しかったかどうか、なのかなぁ。自分がしたことの正しさかなぁ。人を守るための戦いっていう言葉の意味かなぁ。どれが正しいとも思えない。でもなんか、彼の求める答えは多分今も見つからないような気がした。日々考えて、答えを探すことそのものが「答え」なのかもしれない、みたいな。うーーーーーーんうまくいえない……。「戦い続けるしかない」っていうメッセージが「答え」のように感じた。平和が単に噴火していない火山に例えられている(=噴火は平和を破壊する象徴?)こともそうだし、なんかこうビシッと固定された答えがあるんじゃなくて、日々ちょっとずつ変わっていくことそのものを指してるのかなって。

頭回らね~~~! 見てる最中はいろんなことを考えながら見てたはずなんだが、終わった途端に全部飛んだ。疲れ果ててる。思い出したらまた別のところに書くかもです。