行く末トーキー

はじめからはじめよ

おたく、第二部へ

先日、ちょっと……いや大分幸せな出来事があったので記事に残しておきます。刀ステ(慈伝)のネタバレを含むのでまだ見てない人は気をつけてね。

この間、刀ステを最前列の真ん中で見てきた!!!!!!

最前列ってロマンがあるよね。お芝居そのものを見るんだったら、全体も見えるようにもうちょっと後ろのほうがいいんだけどさ。でもなんかそういう理屈を全部すっ飛ばして特別な感じがする。しかも真ん中って。すごいよなぁ……。チケットの座席番号見た瞬間死ぬかと思った。生きてる!!!(それはそう)

なんかね、見終わってから「もうこれ以上の幸せはないなぁ」ってすごく満足した。何も遮るものがなくて、すぐそこに大好きな山姥切国広がいて、しかも結構いろんなシーンで立ち位置が0ズレで。見上げる瞳がきらきら輝いてた。いろんな人の刀身もばっちり見えた。山姥切国広の刀身がずっと気になってたから、とあるシーンで立ち止まった時に顔ではなく刀身をじっくり観察してしまった……。すごく似てた。切っ先が大きいところも、緩やかな湾刃も、樋通しもほんとにそっくり! しかも長義と似てるようで似てないところがいい! 羽鳥さんにファンレター出すしかない。

もうすごく満足したんだよね。この世界を知るきっかけになった作品で、いつかは座りたいと思っていた一番前の真ん中の席で、一番大好きな刀が修行に出るところを見送って。もうこれ以上はない。多分私が刀ステしか見ていなかったら、もうこの最高をずっと覚えておくために劇場行くのやめてもいいかなって思えるくらい幸せだった。

私にとって山姥切国広ってこのくらい大きな存在なんだなぁ、と再認識もした。最近はさすがにとうらぶのゲームそのものはルーチンみたいになってる。新イベ来ても力でゴリ押しすりゃどうにかなるし、資源もカンスト間際~カンストをうろうろしてるし。あえてガツガツやらずにのんびり進めてるところはある。山姥切国広極もまだ63レベル。でもやっぱり、彼は私の人生を変えた存在なんだよね。もし「推す」ということが「特定の存在に(他よりも優先して)時間やお金を費やすこと」だとしたら、私が初めて推した存在は荒牧さんではなく山姥切国広(刀)になる。たった1振りの日本刀のために日本全国旅して回れるほどの活力があるなんて自分でも思わなかった。今同じことできるかって言われるとちょっと難しいと思う。そのくらい大事な存在だ。

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だから、私の中の「山姥切国広のおたく」の部分は今これ以上ないくらいに満たされている。実物も見たし、すごく大事に演じてくれる人がいる。こんなに幸せなことはない。でも、「荒牧慶彦のおたく」の部分は全然満足してないな、って帰り道で気が付いた。山姥切国広だけ考えても、まずはとにかく次回作でもその先でもいいから極になって帰ってきてくれないと話が始まらないし、それ以外の役だってまだまだ待ってる。カツオもやるしジャックもやるし、年明けには紬も待ってる。解禁されていないものだってたくさんあるだろう。

そう考えたら、今ここで満足してる場合じゃねーな!って気分になった。まだ追い始めて3年目だけど、その中でいろんなものを見てきた。初主演、初の写真集、ムック本、たくさんの舞台作品。それから声のお仕事を始めたり、テレビに出たり。あと盲腸がなくなったり靭帯が帰ってきたりもした(?)。事務所を辞めてフリーランスになったのも大きな変化だよね。私が見てきたのはその中のほんのちょっとだけど、それでも「まだまだこんなもんじゃないな」って思えるくらいには、自分の中にもちゃんと積み重なるものがある。これがすごく嬉しいし、幸せだなって思う。形に残るものばかりじゃなくて、記憶の中にちゃんと思い出がたくさん刻み込まれてる。こんなに幸せなことはないよ。

それが実感できたのが今回の刀ステだった。これからもっとすごいものが見られるだろうし、演技だってどんどん変わっていくだろう。それをこれからも(自分なりのペースで)見ていきたいな、って強く思う。いつか荒牧さんが山姥切国広でなくなったとしても、私は彼から離れられない。一時期はそこを不安に思ったけど、今なら大丈夫だって言える。でもやっぱ寂しいからできるだけ長く演じてほしいけどね……!(複雑なおたく心)

だから、こないだの刀ステで何となく一区切りついたな!って気分でとても清々しい。長編で言うところの「第一部完!」てところかな。これまでに受け取ったたくさんの宝物を大事にしながら、これからもささやかではあるけれど荒牧さんのおたくとして頑張りたいなって気持ちを新たにした。

まずは慈伝、まだまだ公演あるから少しでも回数増やすべく当日券とか頑張るぞー!おー!

2019年6月21日、山姥切国広重要文化財指定記念日に寄せて。