行く末トーキー

はじめからはじめよ

もし彼が ― MANKAI STAGE「A3!」秋冬2019

1日に2作品見るのは自分を追い詰めることだってわかってるはずなんだがなぁ(現在2/8 0:40)

観劇の記録

  • タイトル:MANKAI STAGE「A3!」~AUTUMN & WINTER 2019~
  • 日時:2019年2月7日 18時
  • 場所:日本青年館ホール

まぁチケットが生えてきたのが原因なのでしょうがないですね(大胆な開き直り)

座席位置

1階中程の下手。最後に左京さんが駆け抜けるルートの側だったのでなんかわくわくしてた。左京さんにファンサをもらいたいとは思わないんだけど、左京さんが近くに来てくれたら嬉しい(複雑な心境)。

雑感

もし彼が私の推しでなかったら、私は彼を双眼鏡で覗いただろうか?

昨年末に双眼鏡を買い替えてから、多少遠い席でも表情が見えやすくなった。以前使っていたものとは比べ物にならないほど明るいし倍率も高いので、ついつい表情をアップにしてしまうし、推しが出ていれば定点してしまいやすくなった。前までは倍率が低いものを使っていたので、定点するとしても周りの状況がわりと視界に入っていた。でも今の双眼鏡は本当に表情のアップがほとんどになってしまう。

アップで見ると、ものすごく細かなところの表現がよく目に入る。視線が泳いだり、敢えて一旦外してからもう一度向き直ったり、唇を結んだり、言葉で語る以上の内容が全身から伝わってくる。本当に「月岡紬」という人物が生きているみたいに見える。でもそれは双眼鏡のレンズ越しに見たからわかったことだ。もっと言うなら、彼が私の推しであり、推しを定点しようと思って覗き込んだから伝わったものだ。

じゃあ、彼が私の推しじゃなかったら?

公演が始まる前から、繊細な演技ってどういうことなんだろう?っていうのを自分の中で今ひとつ落とし込めていない感じがする。おそらく、身振り手振りが控えめであっても感情が伝わりやすい演技のことを言うのかなぁって思ってるけど、なんかしっくりこない。今回私は双眼鏡を使って彼の演技を細かいところまで見ることができたけど、そうじゃない場合、例えば彼のことを何一つ知らない人が見た時にはどう見えてるんだろう? 劇場という距離の中で、どうあることが求められるんだろう?

いつもはどの作品を見ても「推しを推しててよかった~!」って思うんだけど、今回ばかりは「推しを推していなかったらどう見えたんだろう?」というのが気になって仕方がない。もし彼が私の推しじゃなかったとして、それでも私は彼を双眼鏡で覗いただろうか?

演じるっていうのは難しい。演技を受け取るのも難しい。「演劇」っていう直球ど真ん中のテーマだからこそ、これが本当に求められる受け取り方なんだろうか?ってことが気になってしまう。受け取り方に正しいも間違いもないってのは十分承知だけどね、なんか自分が納得してないのでもうちょっと考えてみたいなーって思った回でした。

その他

左京さんの残り香を感じられた...!(一気にIQが下がった感想)

春夏のときから「香水つけてる」「バニラの香り」と言われてて気になってたんですよ。前回はまさかの開幕左京さんで全然気づかなかった(いろいろ予防したくてマスク付けたままだった)ので、今回ばっちりリベンジしてきました。バニラの香りでした。通路側ではなかったので感じられるかちょっと微妙だったんですが、最後に通り過ぎてちょっとしてからふわっと来たのでなんかもう幸せでした...。

あとアリスに向かって三角が突進してくる→三角ポーズでじゃれる2人というほのぼのシーンを見ていたら舞台上の紬をほとんど見れませんでした。やっぱり客降りは視界が4つくらいほしい。

もうちょっと真面目な感想も書きたいんだけど、やっぱり別作品マチソワすると詰めが甘くなってしまうな...。致し方ないとは言えもうちょっと鍛えておきます。課題が増えるばかりだ。