行く末トーキー

はじめからはじめよ

結び ー BSP「新選組」完結編

演劇って見るのも体力使うよな...

観劇の記録

与太話

1週間かそのくらい前に、チケットを保管しておくファイルの中身がぐちゃぐちゃになってしまったんですよ。あ~あ~ってなりながら片付けてたら、なんとこのチケットが出てきました。いつ買った全然記憶になくてものすごくビビりましたね...。家計簿(Zaimの記録)を見直したら12月の頭に買ってたようです。まじで覚えてない...このまますっかり忘れてしまうところだった...。こんなこと初めてで死ぬほどビビりました。本当に気づけてよかった...。

そんなチケットは前方下手でした。

雑感

えげつねぇな...! 久しぶりにここまで体力を消耗する作品を見た気がします。ミラステよりは軽いけど普通に重い。しかも想定外の重さだったので終わった後の疲れがすごかった...。

暁・宵は新選組の「はじまり」を描いた話なんだけど、終は文字通り「終わり」を描く話だった。4話かけて盛り上げていった話を2話で閉じていくからものすごく急に感じるし、あまりにもあっけなさすぎて言葉も出ない。でも現実でもこのくらい急な変化だったんだろうなぁ、と思うと、なんか少し虚しくなった。

第5話

この章はもう稔麿に会えない...と思っていたら初っ端は稔麿だったので元気が出た(?) 稔麿のビジュアルが好きすぎるのでやっぱり稔麿を見ると元気になります。

OPのアレンジがごりっごりに効いてて一瞬同じ曲だとは思えなかった...! 同じ歌詞・同じメロディでもここまで違うのか~~!

甲子太郎の伏線がどこで回収されるのかと思ったら第6話のそこかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!(いきなり第5話からはみ出す感想)

幕末の知識は基本的な部分しかないし、しかも薄ミュの見過ぎでだいぶ脚色されてしまっている。それでも知っておいてよかったな~とは思った。日本史わからない状態で見たら多分置いていかれたと思う。

暁・宵とは違う役を演じるキャストが何人かいて、それによって生まれるメタい関係が最高でした。稔麿vs沖田が竜馬・沖田vs京都見廻組に変わるところが一番ぐっときた。第5話はコメディタッチなシーンも結構多かったから、「宵の章ではあんだけやりあっていたのに...」という感傷をうっすらと感じながらも笑いながら見れたシーンが結構あった。

第5話なのか第6話なのかわからなくなってきたな...。釣り竿を投げてしまった慶喜公はこっちだっけ...?

第6話

えっっっっっっっげつない。つらい。重い。打つ手すべてが裏目に出続けるというか、最善と思われる道がどこにも残されていない苦しさで見ているのがつらい。これが「現実にあった出来事」をベースにしているという事実がつらい。いくらか脚色はされてるし、事実そのものではないんだけれど、でも確かに同じようなことを経験して苦しんだ人たちがいたのだという実感が迫ってくるようで、正直途中でちょっと休憩を入れたかった。でも現実は待ってくれないんだよなぁ...。

彼らの物語に「結び」を付けたのは誰だったんだろう?

彼らは彼らなりに、自分の夢や希望に向かって生きていたはずで。なのにどうしてこんなことになってしまったんだろう...?という疑問がぐるぐると渦巻く。どうして、どうして、どうして......。傍から見ていてこれなんだから、渦中にいた当人たちはこれ以上に苦しい思いをしたんだろう。どこも間違えてはいない、その時その時は最適解を選んでいるはずなのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。

これが作り物の話であれば、どうにかこうにか丸く納める道もあったかもしれない。けれどこれは事実を元にした話であって、結末を歪めることはできない。でも、どこを「結末」とするかは決められるんだよなぁ。暁・宵は池田屋を「結末」としたから、まだなんか救いがあったんだということを突きつけられた。

最後の最後まで立川の腰にあった刀をよく覚えている。立川の物語はあの時点でまだ終わっていなかったからこそ、こうして語り継がれた物語があるのかもしれない。

うーーーんなんかまとまらない...。消化に時間がかかるタイプの話だった...。

そういえば、始まる前に「これから見る話を私は知らない」と思ってなぜか怖くなったのを思い出した。あれもなんか不思議な感覚だったなぁ。大まかな流れは日本史の通りなんだから「知らない」はずはないし、実際に作中で出てくるほとんどの出来事は一度聞いたことがあるものだった。なのにどうして「知らない」と思ったんだろう? 不思議が多い体験だ。

繰り返しになるけどとりあえずチケット見つけておいてよかった...。今後は買ったらすぐ予定にも入れるようにします。あ~~~~怖かった!