行く末トーキー

はじめからはじめよ

在と不在 ― 音楽朗読劇「ヘブンズ・レコード ~青空篇~」

今日はちゃんと着いた!(本日の主題)

観劇の記録

  • タイトル:音楽朗読劇「ヘブンズ・レコード ~青空篇~」
  • 日時:2018年10月11日 14時半(荒牧)
  • 場所:有楽町よみうりホール

座席位置とか

今日はちゃんと着いた!(サビ)

最速先行で頑張ったので前方のちょっと上手寄り。先着先行って聞いたときはびっくりしたけど、こうして自分の努力が前方席って形で帰ってくるって考えると、わりと美味しいかもしれない。

昨日も列番号のわりになんか遠いな~って思ったんだけど、今日もやっぱり遠く感じた。最前列と舞台の間がかなり空いてるからかなぁ。あと絶妙に前の人の頭に被ってしまう。今回は特に、立ち位置がほぼ固定だからなんかウニャーンってなった。ウニャーン...。まぁギリギリ見えたけど...。

雑感

昨日の今日だからさすがにボロ泣きはしなかった。でもやっぱり、同じようなところで同じように打ちのめされた。方言にも慣れて、台本も何度か読み返して流れを頭に入れた分、言葉の意味をより深く受け取れるようになった...というか...。初見時は全体の2~3割くらいしか聞き取れなかった。同じ日本語とはいえ聞き慣れない関西弁+シーンによっては音がボヤボヤする効果(エコー?)がかかってる+後方だから音が広がって聞こえるという三重のハードル*1が高かった...。台本売っててほんとによかった。ありがとうございます。

そうなると何が起きるかって、言葉の詳細よりも、その言葉に込めた感情が塊でぶつかってくるように聞こえる。大声を上げるところでは、言葉の意味ではなく「怒っている」という事実だけが届く。ものすごく原始的なコミュニケーションだ。その時その時の最も根本的な感情だけを汲み取っていく、というのは、今考えると思った以上に消耗する作業なのかもしれない...。そりゃ疲れるな。

言葉の意味って意外と大事だ。だれかの感情を直接心で受け止め続けるのには限界がある。だから、どっかで区切りをつけて頭で受け取るようにしなきゃいけない。そのために言葉というものがあるのかもしれないね。

これは心の受け手だけじゃなくて、当事者にとっても大事なことだ。心の中でいろんなことを感じすぎていると、どうしても前に進めなくなってしまうかもしれない。前に進むためには、どこかで自分の思っていることを言葉にして、頭で理解しなきゃいけないように思う。すっごく大変なんだけど、区切りをつけるっていうのはそういうことなんだろう。いなくなってしまった人のためではなく、これから生きていく自分のために、自分の心を言葉にしなきゃいけない。

第2話の最後、繁が恵子に向かって「無理せんで、ええよな?」と問いかける。恵子はその言葉を受けて顔を俯ける。その少し前のシーンで「俺、お前と結婚してよかった」と言われた時の笑顔とは対象的だった。繁の言う無理ってのは、引っ越した先でも銭湯を開くことか、それとも今の場所を離れることか、CDを手放すことなのか、それ以外なのか、全部ひっくるめて「これから生きていくこと」なのかはちょっとわからない。けど、無理せんでええかを決めるのは恵子じゃなくて繁自身なんだろう。これからずっと恵子に頼ることはできない。だからここで、繁は自分がどうしたいのかをちゃんと向き合って、言葉にするだろう。どうするんだろうなぁ...。

繁と恵子だけじゃなくて、この作品に出てくる全員は、いなくなってしまった人のためじゃなくて、自分のために、自分がどうしたいかをちゃんと言葉にする。語るという行為は、どこまでいっても今を生きていて、これからも生きていく人のためにあるんじゃないかな。そんなことを考えた。

今回の荒牧タケル

ちょっとはっちゃけてたというか、遊びが増えてた気がする。

  • 「歌います!タケルくんが歌う、君と君と君と...君」
  • ラジオ戦争の後、はけていく花に向かって軽く頭を下げる
  • 「いや聞いてください!あのねあのね!」

全部かわいい~~~~~~!ってなった。あとユウミを真似て「バイク盗んでもあかんでぇ」って言うけどそんなに似てないとこも好き。ぶっちゃけ昨日のが似てた。

あと関西弁のレベル...?出力度合い?がちょっと落ち着いた感じがした。モノローグ的な部分はわりと標準語寄りになってたかなぁ。公演を経るごとに変わっていく、ってのはもはやほぼ当たり前のことだけど、言葉と身振りだけしかないから、変わったところがよりくっきり見えてくるのがちょっとおもしろい。

それから、昨日の夜に前山タケルの仕草を見て、改めて荒牧タケルの仕草も注目してみた。自分が話していないときはどうなんだろう、って。...めちゃくちゃ美しかった......。あんまりリアクションは取らず、淡々とページに目を走らせているだけなんだけど、姿勢が綺麗すぎてそれだけでもう満足しました。瞬きまで美しすぎてつらい。自分はその場にいなくて話を聞いているだけ、でも客席から見えていることは自覚している、みたいな絶妙なバランスだった。すごい(盲目)。どっちのタケルも全然違う世界を見せてくれるから、何度でも見たくなる。

はぁ~~~~~いい作品だ~~~~~(大の字)。この作品を観劇できてよかったです。

*1:プラス、私自身が軽い難聴なのでそもそも聞き取れる音域が狭い