行く末トーキー

はじめからはじめよ

未来へ生きる ― 音楽朗読劇「ヘブンズ・レコード ~青空篇~」

初日見てきたぜ~~~~~~~!イエ~~~~~~

観劇の記録

  • タイトル:音楽朗読劇「ヘブンズ・レコード ~青空篇~」
  • 日時:2018年10月10日 14時半(荒牧)・18時半(前山)
  • 場所:有楽町よみうりホール

当日券もあるので、もしよければ...観てほしい...かなぁ。人によっては嫌かもしれない。阪神淡路大震災がテーマの作品だし。でも、それでも...もし、時間があるなら、見てほしい。

途中まではネタバレ無しで書きます!

与太話

よみうりホール、東京駅近辺に2つある問題。

「よみうり大手町ホール」と「よみうりホール」があるんですよ...。乗り換えを考えると東京駅で降りて歩いたほうがいいな、ってところまでは覚えてたんですが、順調によみうり大手町ホールに向かいました。ついてから気づいた。あ~~~~~へこむ~~~~~。ちなみに両方の間はほぼ直線で徒歩20分です。早めに動いてたから間に合ったけど...次からは気をつけます...はぁ。

てことで開始前から冷や汗かいたり早歩きしたりでちょっと疲れてた。

チラシを入れる封筒がもらえたり、物販持ち帰り用袋も渡されたり、とても手厚い福利厚生を受けました。直近があんまりにもあんまりだった*1ので天国かと...。

ロビーにはサイン+メッセージ入りレコードとか、等身大パネルとか、関係者さんから?のお花とか、先日の神戸新聞(インタビュー記事)とかが並んでてとても華やかでした。よきよき。等身大パネル、みんなが遠巻きにして写真撮ってたのはちょっと笑った。あの状況で隣に行く勇気が出ない笑。

座席

マチソワともに下手側で、マチネ(一般発売で買った)のが後ろだった。ソワレはリピチケで買ったけどマチネより前の方だったの解せない。そういうこともあるよね。

雑感

すごかった...。朗読劇はこれで2作品目だから、センセーショナルな演出が何かはちょっとわからずじまいだった。それは置いといても、普通の(朗読劇でない)演劇作品を見るときよりも体力を使った気がする。終わった後ものすごくお腹が空いてるんだけど、何も食べたくなかったのでちょっと困った...。そのくらいたくさんの感情を届けられたし、消化するのに時間がかかるものばかりだった。

演劇というか、演じるっていう行為の持つ力は、とてつもなく大きい。多分、私が思う数倍、...数百倍はあるかもしれない。

パンフを見るとわかるんだけれど、出演者の中で、阪神淡路大震災によって重大な被害(身近な人を亡くすとか)を受けた人はだれもいない。むしろ、その時は関西にいなかったとか、(幼かったから)覚えていないとか、そういう人の方が多い。私も物心がつく前の出来事で、母親の言う「朝起きてテレビ見たらすごかったのよ」と、教科書に載った写真以外の知識はない。それでも、全員がまさにその場にいたかのようなリアルさで迫ってくる。それも声とほんの少しの身振りだけでだ。これが現実に起きたことを元にしたフィクションだからなのか、それ以外の何かなのか、それはわからない。けれど、話を聞くうちに、まさに2000年の神戸で、ヘブンズレコードのそばに居合わせているように思えてしまう。

同じ話を文字や写真で見るだけでは、きっと「そんなすごい話があったんだね」という薄い印象で終わってしまう。映像でも難しいかもしれない。演劇だからこそ、その場で起きただろう悲痛さとか、虚しさとか、怒りとか、そういうごちゃごちゃした感情を全部受け取れたんだと思う。眼の前で苦しんでいる人を無視できるほど...なんというか、淡白な人間ではない。だから、たとえフィクションだったとしても、あの時起きたことのリアルさを伝えるために演劇を選んだ、というのは、ものすごく効果の大きい選択なんじゃないかな。

関西弁

推しさんが「関西弁むずい!!!!」って言ってたのは見てたし、実際どうなんだろう、とちょっと不安にも思っていた。前ちゃんさんが関西出身ってのはこの作品で初めて知った...。前ちゃんさんが関西弁を話すとこは見たことないから、どっちも初見ということになる。

なんだろう、私が見て「関西弁っぽい」って思うのは推しさんなんだけど、実際に普段から関西弁で話している人が見て「ぽい」って思うのは前ちゃんさんのような気がする。根拠はない。だれか関西出身の人見てきて感想教えてください。

生まれも育ちも関東だから、関西弁に接する機会ってテレビとか映画がほとんどだ。実際の知人も関東圏出身が多いし...。舞台を見に行くようになってからは、関西出身の俳優さんたちが関西弁で喋ってるとこ(挨拶とかバクステとか)も見るようになったけど、私が持つ「関西弁」のイメージはテレビで見たあれこれが中心になる。でもあれって、わかりやすく強調されてる部分がある...と思っている。でもその強調に基づいてイメージを作ったから、多分似たようなイメージを持ってる推しさんの「関西弁」を「ぽいな」と思ってしまう、というか。

あんまり方言で演じるとか考えたことなかったんで、ちょっと新鮮だ。推しさんの振り返りも今から楽しみだなぁ。

ダブルキャスト

この作品は、推しさんの役(タケル)の他にもダブルキャストがたくさんいる。完全にシングルなのは店長役だけ...かな。音楽関係は除くね。

推しさんが演じる役がダブルキャストになる、というのは初体験だった。これがなかなか面白くて、ソワレで「あ!」と思って視線を向けても、そこにいるのは前ちゃんさんなんだよね。不思議!! 理屈の上では何もおかしなことではないけれど、自分の中ではトリックアートを見ているような気分になった。話を追いつつ感情にぶちのめされつつ、だからなかなかこの状況に慣れなくて、最初20分くらいは「???」ってなってた。完全にあたまがわるい

どっちがどうだった、ってのはネタバレ部分にちょっと書くけど、どっちも好きだったなぁ。というか、同じ本でもこんなに違うんだ!という驚きが大きい。1日に両方見てよかった!

ここからネタバレあります!

第1話「誕生日」

家族の話。この話が一番痛かったなぁ。自分の想像力は全然足りてなかったんだ、と突きつけられる。

困ったんは、棺桶です。

震災が起きれば、人が死ぬこともあるし、生きていても生活手段が断たれて、わずかな物資を分け合うしかなくなる。それは知っている。けれど「知っている」だけで「わかる」とは程遠いと打ちのめされたのがこの一言だ。棺桶が用意できなくて葬式をあげられない、なんて全然考えたこともなかった。あと「川挟んであっちとこっちじゃ別世界ですわ」もそう。知っていてもわかっていなかった現実を次々と見せられて、序盤から結構落ち込んだ。

翔太に似せたお地蔵さんを作って、家の前に置いたら、近所の人どころか遠方からも人が来る、というのは完全に理解の範疇外だ。そこまでしても癒やされない傷がある、ということが想像できない。辛かったんだろう、という字面がひどく軽く見えてしまうのであんまり書きたくもない。

この話は村田さん(ソワレ)がすごかったな...。手が震えて台本を取り落としそうになったり、うざそうにネクタイを緩めたり。本当にその場にいた...というか、元となったエピソードの本人を見たんじゃないか、くらいの怒りをぶつけられた。関西弁でがなられるとめちゃくちゃ怖いな...。2回見て2回とも同じ箇所でビクッてなった。怖い。

第2話「残り湯」

関西電気保安協会!!!!!!!

関西あるあるネタ?でよく聞く「関西電気保安協会」に遭遇しました。関西電力とは違うんですね。

第1話でぶちのめされたから、前半のドタバタっぷりでちょっと癒やされました。銀行員に啖呵切るとことかもうすっごくて。あと水。「あの勢いやと富士山まで行ったんちゃうかぁ」でどうしても笑ってしまう。やってることはものすごく厳しいし、自分達の生活だってままならないのに、みんなのために夢の湯を開こうと奔走しているところは、とにかく明るい。特にマチネは恵子の膠原病うんぬんが聞き取れなかったのもあって、2人が力を合わせて夢の湯を再開しました!っていう明るい話なんだと思ってた。

だからこそ後半がきつい...。ソワレは事前に台本を読んだのもあって聞き落としは減ったんだけど、それでもきつい。ここだけの話、マチネは恵子がなんで死んだのかわからなかったので...それはそれでしんどかったけど。なんでいきなり死ぬん?!?!ってなった。悲しい。どっちにしろいきなりだった。

「私と結婚してよかった?」という問いかけをはぐらかしてしまったの、繁はずっと気に病んでるように思う。マチネは「いっこも温かくならんのです」で、ソワレは「お風呂もっかい入ろ」で涙がブワって出た。伊阪さん(ソワレ)の「なあ聞いてくれや。なんとかいうてくれや」を聞いて泣かないのはちょっと無理でした。

荒牧タケルの一番好きなセリフはこの話ですな。「あの時、あの温かいお湯に体を浸けた時にね、疲れがぱーっと取れて。明日から生きていこう、頑張ろうって思えたんです」です。この「ぱーっと」の部分が本当に嬉しそうで...! タケル自身はそこまで大きな被害がなかった...?っぽいんだけど、やっぱり彼も震災で翻弄された1人なんだ、とわかるところでもあるので好きです。

この話の最後にかかる曲(Someone To Watch Over Me)、どっかで聞いたことあるんだよな~どこだろうな~...ってずっと気になってて、帰ってからぐぐったら野村不動産のCMでした。スッキリした。

第3話「灯り」

1話から3話まで通してみると、だんだん明るく、未来に向かった話になっていくところが素敵だなって思う。1話ごとに独立してるんだけど、3つ合わさると、それぞれの話がさらに広がっていくように見える。

堪大さんひさしぶ...り...でもないな。足が長かった。冒頭のラジオシーンでタケルと店長の間をきょろきょろしてるとことか、ユウミに「再現して」って言われて「?!」ってなってるところとか、ちょっとした仕草がとってもかわいい。

前山タケルは「ほな、さいなら~!」で手を振ってたところが好きです。てか、前山タケルは声を出してないときでもちょこちょこリアクション取ってて、ふと目に入って落ち着いたり和んだりするとこが一番好きかな~。あとユウミに会った直後の「どもー」とか。島崎に会ってからめちゃくちゃ生き生きし始めるとこ好き。

島崎とユウミは、同じ震災で両親を亡くしたけど、ユウミには母親がついてる(付いてる/憑いてる)のに対して、島崎は普段の顔も思い出せない。同じ境遇にあるからといって、同じようにつらく思っていると決めちゃいけないんだ、という当たり前のことを、小さく丁寧に届けられた。2人と子供で、いい家族になれるといいなぁ。

そんな2人を見てタケルはどうしたのか、具体的なところはわからない。音楽を続けてる...と思いたいけど、それがまたどっかで折れてしまうことだって十分ありうるだろう。それでも「僕は!」と絞り出したときの気持ちを忘れなければ、彼も未来へ進める、と信じたい。

エピローグ「ひまわり」

震災は、過去・現在・未来のつながりを引きちぎる災いなんだ、とわかる話。花の父親が意識不明になったのは、震災のせい...とは言い切れない。復興工事を行うことになったのは震災があったからだけど、でも直接の原因は震災ではない。

復興って何なんだろう。

最初の方で、阪神淡路大震災の記憶はないと書いた。私にとって「大震災」の記憶は中越地震から始まる。...といっても中越地震そのものではなく*2、その数年後の話だ。学校の林間学校か何かで、新潟に行ったとき、そこに「まだ」残っている仮設住宅を見て、「まだあるんだ」と驚いたことを今でも覚えている。もう何年も経って、ニュースでも全然扱われなくなったから、すっかり元通りになったんだと思っていた。でも現実はそうじゃない。まだほんの入口に立ったばかりなんだ、みたいなことを考えた。

この作品を見て、あの時仮設住宅を見て感じた驚きを思い出した。復興って、大変なことなんだ。ぶつ切りになってしまった過去・現在・未来のつながりを、ゆっくりと取り戻していくことが復興なのかもしれない。外側が元通りになったって、その場に生きる人が未来へ向かえなかったら復興とは言えない。もっと長い目でいろんなことを考えなきゃいけない...みたいな、当たり前のことを考えた。当たり前なんだけど、一番むずかしいよなぁ。

演者が座らなかった、たくさんの椅子。それぞれの椅子にも、それぞれの物語があるのだ。

ある、だといいなぁ、ってものすごく思う。「あった」んじゃなくてね。たとえ椅子に座っていた人がいなくなってしまったとしても、その周りの人たちが、物語を続けていけたらいいなぁ。

マチネは最後の暗転後に拍手が起こらなかった。すべきなのかもしれないけれど、でもなんか、どっと疲れてしまって...。ソワレは拍手あった。あの終わり方も不思議な感じがした...現実と地続きになっている感というか。最初はビルの方を見上げていた人たちが、ふと気づいたらまっすぐこちらを見ている、という状況にちょっとだけゾッとした。

まとめ

期待通りというか期待以上でした...! 半休取らなきゃ見に行けねぇ~ってなってたけど勇気出して追いチケしてよかった!

*1:まだ引きずってる

*2:なんか揺れたな~という記憶はうっすら残っている