行く末トーキー

はじめからはじめよ

生という罪 ― 舞台「炎の蜃気楼昭和編 散華行ブルース」

毎日このくらいの気温ならいいのに…

観劇の記録

  • タイトル:舞台「炎の蜃気楼昭和編 散華行ブルース」
  • 日時:2018年8月17日 19時
  • 場所:全労済ホール/スペース・ゼロ

※ 書いている最中に日付が変わってしまった(ソワレ観劇あるある)…。「今日」というのは08/17のことです。

座席位置

調伏エリア(前方センブロ)の下手。通路が近かった…! 長秀の足なげぇな、と思いました(感想)。

あまり関係ないこと

あ、感想の前に報告を。

瑠璃燕の特別版をようやく買いました! ミラステのDVDを買ったのが推しさんを知ってすぐくらいだった(確か刀ステの次に見た作品)ので、値段の高さにびびって、特別版…原作もよくわからないし本編だけでいっか…とチキってしまったんですよね。今思えばチキらずに買えばよかった~~~~!!!(地団駄)ってなってたので、ここで思い切って買いました。この感想書いて余裕があったら見るんだ~。

あと直江のポスターも買いました。飾るところはどこにもないし飾る趣味もないんだけれど、直前ニコ生で見た時に「買うしかねぇな」と諦めてしまったんですよ。いやこの直江は無理。無理すぎる。縮小コピーかけて持ち運びたいくらいには視線が惹かれます。サインは入ってなかったけれど、これはこれで背景の無が際立ってていいですね…。

ブックカバーだけ買えなかった(並んでる途中で売り切れた)ので、次はもっと早めに行かないとです。あれだけは絶対に…ほしい…!

雑感

何かとんでもない思い違いをしていたのではないか、という衝撃を受けた。これだけ見ていてもまだ新しいことがどんどん引き出される。慣れたと言ったな? あれは嘘だ。やっぱり前で見るとただひたすら板の上の熱量に圧される。影の濃さに引きずられて呼吸もままならない。

これまで、直江が犯したたくさんの罪について、彼が生きているから引き起こされた罪で、400年も生きているから、人間としての精神が耐えられなくなった結末なのだと思っていた。崩れ落ち、呆然と手を見つめる直江を見つめながら、人間の肉体さえなければ、こんなことにはならなかったのに…と半ば哀れんでもいたと思う。

けれど、今回、何がきっかけになったかはわからないけれど、正反対に近い思いを抱いた。

罪を犯すことも、罪を償うことも、救うことも、救われることも、愛することも、憎むことも、笑うことも、泣くことも、幸せになることも、死ぬことだって、生きていなければできないことなのだ。

謙信公の「死が安らぎになると思っているなら、生き続けねばならぬのだ」という言葉が、これまでどうしてもわからなかった。なぜこうまでして生きなければならないのか、なぜ終わりを許されないのか、かつて怨霊であったことはそこまで重い罪なのかと打ちのめされるばかりだった。確かに死ぬことは安易な逃げ道かもしれない。けれどもう…もう、ここまで行き着いたのならば、ここまで生き続けたならば、もう、終わりにしてもいいのではないかと、崩れ落ちる景虎を見つめながら問い続けた。

それが今回、ようやく「なぜ生き続けなければならないのか」という問いに、ひとつの答えが見つかったように思う。生と死が完全に釣り合ったというか…なんて言えばいいのかな……。理屈を全部すっ飛ばして、なぜ景虎が生き続けなければならないのか、その答えを掴んだ。掴んだという実感はあれど言葉にできないのがもどかしいんだけれど…。目には目をじゃないけれど、生きているうちに犯した罪は、生きているうちに償わなければならない。死は決して償いにならない。死とは誰もが行き着く果てであって、それ以上でも以下でもなく、そこに何らかの答えを求めてはならない、みたいなことを掴んだ。うーーーーーーんうまくいえない…。一番近いのは「死は答えではない」という言葉だけれど、なんかこれじゃこぼれたものが多すぎる…。もうちょっと練り込まないと出てこないなこれ。

ここまで辿り着けたのも、1公演にすべてを賭けて走り続けている人たちがいるからだ。何度でも書くけれど、役者というのは凄まじい在り方だ。普通に生きていたら感じることのない感情を掘り起こし、それを繰り返し繰り返し再現する。いつ気が触れてもおかしくない。いつ倒れてもおかしくない。そのくらいに「生」であるあの場がなければ、ここまで突き詰めることはできなかった。ここまで見つめ続けたから、ようやく掴み取れたものだ。

ようやくここまで辿り着いた、という実感が大きい。もがいて、あがいて、それでも前に進み続けた結果だ。こういうのを「生きている」って言うんだろうなぁ。

山荘の夜のシーン、終わってから、直江のシャツが出てるときと出てないときがあって(出てるときも出具合はまちまち)、今日はほぼ全部出てた。なんかそこにものすごい生々しさを覚えた。肌が出ているわけでもないのに、ものすごく体温があって、あまりの生温さに吐きそうになった。

そしてその後の直江独白シーン。「掻き出してやりたかった」のあたりがものすごく静かで、ぶつけるような熱量はないけれど、その分…その分、諦めとか、後悔とか、そういうやるせなさを感じてしまった。その後の「景虎様」も、すがるというよりは甘えているように聞こえた。仕草がそうだったから…かなぁ。直江が出るシーン、見るたびに「ここはこれまでと全然違う…なぜ…?」となるシーンが1つはあるんだけれど、今回はここだった。直江は景虎に、およそ人が人に向けられる感情のすべてを向けているからこそ、その場その場で出てくるものがこんなに変わるのかもしれない。

景虎様が直江と美奈子のことを知ったあとの独白のラスト、汗か涙かよくわからないけれど、ぽたりと落ちたものがあった。景虎様は直江を「誠実な男」と評していて、それは確かに当たっていると思う。どんなことがあっても、生きることだけは投げ出さず、全部を背負って歩くことを選ぶ直江は、どこまでも愚直で、どこまでも誠実な男だ。その愚かしいほどにまっすぐな心が、景虎を救っているんだとようやくわかった。そして、なぜ直江がここまでまっすぐであり続けるかというのが、景虎様の「生きろ」という願いに縛られているから、という、もつれて絡まる糸が、どうしようもなく愛おしくなった。

生きているというのは、それだけで罪深いものかもしれない。醜いものかもしれない。けれど、生きているということは、この上なく美しいことでもある。この矛盾に気づけただけでも、この日1日はとても価値のあるものだった。カーテンコールで平牧さんが同じようなことを言っていて、なんかとてもびっくりした。それを隣で聞いている翔さんの表情が、とても好きだなぁと思った。

カーテンコールといえば、横さん(上手)に挨拶を振りたいのに下手を向いてた翔さんもなかなかかわいかったです。前振りで「あ、これ横さんに振るやつだな」と思ったのに全然横さんの方を向いてない…と思ったら素で間違えてた。えっかわいい。

はけ際の調伏も、だんだんタイミングが揃っていくのが、時間の経過を感じて好き。今日は平牧さんがうっかり手をぶつけたりしていた。背が高いからね。それを「何してんだよw」みたいな顔で見てた翔さんもやっぱり好きだなぁと思った。自分が思うより翔さんが好きすぎて自分でもびっくりしている。

bless you! この先に幸あらんことを!

やっぱり眠いから特典は起きたら見まーす。