行く末トーキー

はじめからはじめよ

空調 ― 「ウエアハウス ~Small Room~」

当初の宣言通りウエアハウス見てきました!!!

観劇の記録

  • タイトル:ウエアハウス ~Small Room~
  • 日時:2017年11月3日 15時
  • 場所:アトリエファンファーレ高円寺

以下ネタバレあります!

観劇までの経緯

とにかく味方良介さんという役者がどんな人かを知りたかった。以上!

味方さんという存在を知ったのが先か薄ミュの映像を見たのが先かはちょっと思い出せないんだけれど、とにかく結構長い間「一度生で見たい役者ランキングNo.1」の座を占め続けていた。推しさんとはベクトルの違う「気になる」存在だった。でもなんかお金なり時期なりの都合が付かなくて全然会えなくて、満を持して!今日!はじめまして!しました!!!!って感じだ。

結論から言うと、味方さんとのはじめましてがこの作品でよかったなーーーーーー!!!!(大の字)って思いました。

座席位置など

真ん中あたりのやや下手側。一般販売になると下手側のチケットも取れるようになるんだよなぁ。抽選でも下手側ほしい。

小さいところだと座席による差があんまりなくていいよね。もちろん近いほうが見えるものはあるんだけれど、左右の差がそこまでないのが嬉しい。

あとここの劇場の照明が古い感じの白熱電球でこれがまた好みを突いてくる~~~~~! 消えた後の余韻がある感じが好き。あと舞台上にも同じものが下がってるのがいい。

雑感

いやぁすごいものを見た…。ネタバレを断った甲斐あった…。

見た、というよりは居た、とか、居合わせた、という表現のほうが近いかもしれない。劇場という場をここまで支配するか…!と脚本と役者の力を見せつけられた。

時系列を追う形式で説明できないなぁ…印象に残った順で行くか。

劇場が暑くなるという注意事項は知ってて、なんで暑くなるんだ…?火でも焚くのか…?と不思議に思っていたら、あるときを境にどんどん暑くなるし空気も薄くなるし、否応なく「自分がこの場にいること」を意識させられた。普段は幕が開けてから降りるまで、ただひとつの視線として存在するような感覚なんだけれど、この仕組によって自分が肉体を持っていることを思い出させられたというか…。こう書いてみると当たり前なんだけど、舞台で起きていることと無関係ではない、というメッセージかな、と受け取った。

で、この暑くなるきっかけというのが、シタラが身の上話を始める瞬間に空調が切れたこと…なんだ、多分。あるときふと気づいてそのときばかりは背筋が冷えた。それまで、空調の立てるノイズがずっと届いていた。座った位置だから気づいたのかそれとも自分の耳が指向性に劣るから届いただけなのかはわからない。けれど、あの一言の後でふっと空調のノイズが消えた。そこからは自分の呼吸やみじろぎが明確なノイズになってしまう。息が詰まる。客席で立つ音がやけに気になる。息が詰まる。時々遠くから聞こえる足音や椅子の動く音が何かの意味を持っているんじゃないかと考えてしまう。終わって外に出てからついたため息の大きさはここ一番だったなぁ…。本当に息するのを忘れる…というか、息することでこの場を邪魔したくないな、と思ってしまった。

シタラにとって、この世界で起きるすべてのことは意味がある。意味があると思い込んでいる。意味を見出すべきだと思っているから、見出した意味に邪魔なものは最短距離で排除する。シタラの話が始まる瞬間、無意味なノイズはすべて消える。彼にとって意味のないものは存在しないものと同じだ…ということだろうか。だからこそ意味が見いだせなくなったかつての家に対して苛立ちを爆発させる。にゃあにゃあ、というノイズに耐えられなくなる。けれど離婚を切り出したのは妻の側でシタラではなかった、むしろシタラは裁判まで持ち込んだ、というのが意外だった。本当に妻はにゃあにゃあと言っていたんだろうか。シタラにとって猫の存在同様意味が見出だせないから同じ音になっていただけで、妻は猫が来る前と同じようにシタラに話しかけていたんじゃないか。犬を排除したシタラと、妻と別れなかったシタラがいまいち繋がらない。別れたことで行動原理が変わったんだろうか…? そう思うと彼が話したがっていたことを聞いてみたくなる。

この世界での3人のうち、最も異質だったのはシタラだ。けれど彼にとって、彼の言動はすべて意味があるもので、意味があるからこそ異質になってしまう、そう感じた。言葉ひとつ、行動ひとつにもこだわるのは、そこに理解すべき意味があり、ノイズなんかではないと思っているからだ。だからこそテヅカが示したホワイトノイズに嫌そうな顔をする。シタラにとって「意味」というのはそこにあるもの、相手が発する「事実」であり、自分が「解釈」するものではないからだ。

劇中では、いくつかの仕草が繰り返し現れる。シタラは執拗に椅子の汚れを気にするし、何度も指を鳴らす。自分が着てきたパーカーを丁寧にたたみ直し、ふと触られた本を取り上げる。そこから私は彼が潔癖であると想像した。テヅカも、シタラほどではないが潔癖だと感じた。なぜなら大した必要もないのにスマートフォンの画面を拭き取る仕草が何度も現れたからだ。またポケットからいろいろなもの(リップ・目薬・イヤフォン・タオルハンカチ・スマホフリスク的な何か など)が出てきたからおそらく心配性の面もある。それに比べるとエノモトはおおらかだ。持ち物は少なく、他人に触れられてもそこまで気にしていない。さすがにジャケットを犬に噛まれた後は嫌そうな顔をしていたが…。この共通点で考えるとエノモトが異質な存在になる。仕草から何を読み取るか、何をもって異質とするかはわりと文脈による。テヅカが異質になるような文脈だっていくらでも考えつく。あの場に存在する無数の文脈から、私は何らかの基準に従ってどれか一つを選び当てはめる。それによって見えなくなるものがあったとしても、「そういうものだ」と受け入れる…ようにしている。

振り返ると、あの「場」は音(ノイズ)と言葉の境界線を探る、つまり自分にとって意味を持つものとそうでないものを分ける作業を延々としていたような気がする。それはシタラ、エノモト、テヅカの3人にかぎらず私もそうだ。先の空調の音が切れた件も、ノイズそのものに気づいたのはそれよりも前だ。不自然に紛れ込むノイズによって、自然な音として存在していたはずの空調音が意味を持って立ちふさがる。シタラにとって、「意味を持つ」ものの領域はとてつもなく広い。エノモトにとって、シタラの身の上話は、最初は意味を持った言葉だったのに、いつしか踏み込みたくない雑音に変わる。テヅカには、教会の立ち退き話は最初からノイズだったのかもしれない。その境界線がどこにあるか、どうして変わるかをひたすら考え続ける場だった。

これって、作を離れて演劇や日常生活に話を広げても通用するんじゃないかな。終わった後にパンフを買って読んだときに、ハッとする言葉があった。

「まずは、台詞をしっかり覚え、それを言葉にしてくれ」と言われました。

(猪塚さんのコメントページ)

台詞というのは、そこにあるだけでは何の意味も持たない。それを役者が解釈し演じることで初めて意味を持つ「言葉」になるのかな、と受け止めた。よくある言い回しだけれど、文字通り「息を吹き込む」ことで生まれるものがあるんだろうか…。

改めてすごい場に居合わせてしまったなぁ…。1ヶ月近く上演しているというのがすごい。きっと初めの頃とは違ったものになっている気がする。客席に居合わせた視線によって、持つ意味が変わっているんじゃないかな。そう思うともっと早くに見ておきたかったような…。でも、このタイミングでこの場に居たことはきっと何かの「意味」を持つはずだ。それが自分の解釈した都合のいいものであっても。