行く末トーキー

はじめからはじめよ

青春ディスカバリーフィルム 23時59分59秒 感想

1日のイベントなのになかなか書き終わらない…

起承転結なんてものはいつだって変わりうるものかもしれない、そういう話。

鑑賞記録

  • タイトル:青春ディスカバリーフィルム いつだって青春篇 「23時59分59秒」
  • 日時:2017年3月30日 12時 (トキイベVol.13 内)
  • 見た場所:テイジンホール (大阪)

※ 本編と本編に関連する舞台挨拶での会話ネタバレあり

トーリー

夜の街で路上ライブをしている2人、ギターの優一(中村誠治郎)とボーカルの達也(根本正勝)。バンドを組んで15年、ようやくメジャーデビューのチャンスが巡ってきたが、条件が突きつけられる。デビュー前の最後のライブを終えての帰り道、デビューの条件を打ち明けられないでいる達也に話かける優一。決断の刻は迫る。

https://sdf.themedia.jp/pages/254999/page_201512302211

デビュー前の駅前ラストライブ。2人の観客を前に歌い終えた2人の帰り道の話。

達也が優一に対して缶コーヒーを奢ったとき、優一は自分が過去に達也にコーヒーを奢ったことを持ち出して「これで貸し借りはなしだな」と笑う。そんなことを覚えてもいなかった達也も笑うが、彼はなるべく早いうちに「自分1人だけがメジャーデビューできるのだ」と優一に告げなければならないから、どこかぎこちない笑顔になっている。意を決して優一を飲みに誘うが、そこでも切り出せず、優一に「話ってなんだ?」と利かれてもあいまいに濁してしまう。

飲み屋を出た帰り道。2人は15年前にバンドを結成することになった公園を通りかかり、当時を思い返す。達也が優一に対してバンドの話を持ち掛けたのは高校3年のとき。その時を振り返って、「周りはみんな進路のこと考えてるのに、お前は全然違ったんだな」と優一が笑う。一緒に過ごしてきた15年を振り返りながら、おもむろに「さっきは貸し借りなしって言ったよな」と優一が話し始める。「覚えてないかもしれないけど、俺、お前に1万円借りてるんだ」そんなことを覚えてもいなかった達也が問い返すと、優一は「金がなくてケータイ代払えなくて、借りたんだよ」と説明しながら1万円を返す。「これで本当に貸し借りなしだ」と確認した後、優一は達也に切り出す。

「今日でバンドは解散しよう」

達也が言うまでもなく、優一は達也だけがデビューすることを察していたのだ。驚く達也に「どれだけ一緒にいると思ってる」と言い切り、友人の今後を祈って背を向ける優一。その背に向かって「音楽やめるのか」「お前はどうなんだ」と問いかけても、はっきりとした返事はない。そして最後に、達也は優一に向かって確認する。

「バンドは今日で解散なんだよな」

「ああ」

「今日で解散ってことは、今日の23時59分59秒までは、俺たちは同じバンドってことだよな」

「ああ……そうなるな」

そして2人は初めて路上ライブをした路地裏に赴き、誰もいないラストライブを始める。

舞台挨拶での言及

  • ラストシーンは本当に深夜の3時か4時くらいに住宅街で撮影した
  • できるだけ静かに歌って、静かに弾いたけど近隣の家の窓を開けて見てる人はいた
  • 「うるさい」とは言われなかったらしい
  • この話は本当?
    • 荒牧「この話はAshのドキュメンタリーですか?」
    • 中村「違うからね?! そりゃ出てくる曲は全部Ashのだけどさ!」
  • 出てくる曲は全部Ashの曲
    • 高崎「え、そうなんですか?!」
    • 中村「お前なー、最後に作曲 Seijiro Nakamura って出てくるだろ!」
    • 高崎「すんません見てませんでした!」
    • 中村「見とけよ!」

感想

20分足らずのショートムービーで、ストーリーらしきストーリーも何もない。ただ、デビュー前の2人の帰り道を切り取っただけの話だ。高校3年からの15年間に何があったかはほんの少ししか出てこないし、一人でデビューすることになった達也がどうするのか、友人がデビューした優一はその後どうするのかは全く描かれない。物語の基本は起承転結だけど、この話にはそれがない。盛り上がりの対極にあるような、静かな15分だった。

けれど、それがごく当たり前の日常なのかもしれない。メジャーデビューという大きな出来事があったとしても、日常は変わらず送らなければならないし、15年一緒だった友人と道が別れても毎日は続いていく。題材だけならいくらでも膨らむ話なのに、それを一切せず日常に溶け込ませたのがこの映画のすごいところかもしれない。

この話は、優一と達也の15年間の「結」だし、2人それぞれの道の「起」だし、メジャーデビューの話を受けたあとの2人の「承」だし、道が分かれていくきっかけの「転」でもある。起承転結なんてものは、見ている、つまり部外者のこちら側の都合でつけられるものであって、登場人物たちにとってはどれでもありうる話というのが、当たり前のことなんだろう。何気なく自分の隣を過ぎていく人だって、それぞれの起承転結を生きている。そう思える映画だった。