行く末トーキー

はじめからはじめよ

補遺 ― 舞台「炎の蜃気楼昭和編 紅蓮坂ブルース」

突然ですが

おたくあるある:身の回りに起きたことを最近見た作品に紐付ける

を披露します。

エモいよ…12日が異様に暑くて、13-17日はずっとぐずついた天気で、千秋楽明けたと思ったら雲一つない快晴ってだけでとんでもないエモさを感じる…。うっかり朝の電車内で泣くところだった。

帰るまでが炎の蜃気楼って言われたけれど、私の中ではブログ記事を書くまでが炎の蜃気楼だ。ミラステに限らない話だったか…。観劇直後のぐらっぐらした状態でしか書けないものがあるし、記憶ってどんどんなくなってしまうから、出来る限り鮮明に残しておきたいなーと思ったらこうなった。

ただ、時間の都合とか、体力や気力の限界もあって、その時思ったことが全て書いてあるわけではない。身を削るようなものを見たときはこちらも相応に削られているのでなかなか言葉にならないこともある。それに、心のなかのもやもやしたものが時間を経て形になるってこともある。

だから、4回見た中で書きそびれたこととか、改めて考えたこととかを書いておく。随時追記するかもしれないし、しないかもしれない。

産子根針の術

発動時の目潰しがすごい。1回目がセンブロで、何も知らないときに食らったので結構なダメージを受けた。眩しいの苦手なんだよ…。しばらくちかちかしてた。それ以降はやや外れたところだったから結構安心できた。あれ、自分があまり食らっていない状態で客席見るとすごく綺麗で、直江が「神のなすこと」と称するのも納得できた。信長の影がただのラスボス。

3回目のとき、信長の羽織っていたコートが左肩からずり落ちてしまった。その後一旦全部落としてさっと肩に背負ったのは惚れた…。その後蘭丸と話すときにおもむろにばさっと落とすのも含め、これが己に絶対の自信がある男の生きざまなのか…とため息をついた。ずり落ちていたときの影もものすごく強かった。

照明

2階から見ると照明がものすごく綺麗。マリーがレガーロを去る時、店の外は石畳になっている。冒頭の青とも緑ともつかない光も好き。あとどこか忘れちゃったんだけれど、まさに紅蓮という色をしてたところがあって、その色だけをよく覚えている。オープニングのプロジェクションマッピングも、白い光線がまっすぐ差しているところがよく見えた。ごく普通の白い光なのに、あれを見るだけで心の底から奮い立つものがある。

舞台は近くで見てこそ、という部分もなくはないけれど、こうして若干距離を置いてみると見える物もあって、それがまたおもしろい。これだからやめられないんだよなぁ。

笠原尚紀の終わり

焼け跡で両親と秀子さんの遺品を探すところ。最初2回は器と湯呑みを持ち上げていたような気がする。3回目にあれ…?となって、4回目(千秋楽)はただ触れるだけになっていた。原作だと去り際に父親の湯呑みを割るのだけれど、持ち上げることもしていなかった。あれはどういう意味だったんだろう…。近くに置いておくのも嫌なくらいつらいのか、もう心の何処かでは受け入れて、意味のないことだと諦めているのか…。わからないなぁ…。

「どうしてこんなことになるんです?!」という叫びが、いつも鋭く刺さった。直江は尚紀より前に成人換生したことがあったのかなぁ。尚紀と同じように本来は無関係な親しい人を自分のせいで亡くしたことがあったのかなぁ。その度に自分を責めていたのかなぁ…。景虎様のことを一途に想いながら、自分の宿体の本来の持ち主の分まで生きようとしていて、それがとても不器用で、とても悲しい。舞台では一切出てこないのだけれど、恵美子と尚紀というペアが地味に好きだった。ごく当たり前に片思いをしている恵美子と、その思いに気づいていないのかそっけないところ(とか振り回されたりするところ)があるけれど友人として恵美子を大切に思っている尚紀。景虎様のことを第一に考えていることは変わりなくても、直江は自分が関わる人を決して切り捨てようとしない。優しい人なんだろうなぁ…。その優しさゆえの弱さを持っていて、彼はその弱さを克服しようとしてるように思える。けれど人のことを思えるってそれだけで十分に強いはずなのになぁ。見ているとどんどん悲しくなってくる。

静かな直江

今回の直江はとても静かだ。自分の感情を押さえつけて、心にもないこと、自分の本当とは違う言葉を口にすることが多い。そんなとき、直江は動かない。ただ立ち、手も動かさずに冷えた声で話す。自分を誤魔化すことに精一杯なのかもしれない、と思ったのは何度目だったかなぁ…。最初の頃に感情に炙られて声の温度が上がる、と書いたけれど、声の温度だけでなく仕草も増えていく。まるで自分で凍らせていたものが、炙られることで解けたようだった。どんどん隠せなくなっていくさまが見ていてつらい。こんなにもしんどいものをなぜ見ているんだろうと目を背けたくなる。でも目が離せない。不思議~…。

「なぜお前なんだ! 俺は、お前になればよかったのか?」という問いかけは4回とも全然温度が違って、直江が持っている感情が全部違う色に見えて、直江が抱えるものの複雑さに目を伏せた。怒り、憎しみ、恨み、羨み、妬み、そんな全部の感情がごちゃ混ぜになっていた。最後に聞いたときは、諦めも混ざっていたように思う。自分が変わりようがないことをわかっていても求めずにはいられない。感情をすべて捨ててしまえば楽になるのにそれもできやしない、そんな諦めだ。伸ばした指が虚しかった。

「抱えていても苦しいだけだ」という一言も、最後の1回で感情が出た。千秋楽までは足早に吐き捨てるだけだった。それが、最後の最後で「だけだ」が揺らいだ。こらえきれないものが溢れて、背中が寂しそうだった。自分でどうしようもない感情を持つと、こんなに寂しそうに見えるんだなぁ…。

対して、激しているのに、動けなくなるのが最後だ。容赦なく浴びせられる景虎の願いに縛られていく様がとても悲しい。解放してくれ、と願ったのは本心なのかどうか、今となってはちょっとわからない。紛れもない本心かもしれないけれど、景虎が生きる限り直江は終われないし、終わらせるつもりもないのかもしれない。ぶちまけた震えのあとに来た「御意」の静けさに、400年積み重ねてきた諦めを見た気がした。誰かを一途に想うことの不自由さを受け入れているがゆえの諦観というか…本当にこの人は優しすぎて涙が出る。

天目山

天目山で療養しているときの直江と景虎様、この作品の中で一番穏やかな顔をしてて、わけも分からず苦しくなった。原作ではたぬきといたちのしょうもない話をするくらいには関係が落ち着いていて、これが今生の別れゆえの静けさ(勝手な想像)になってたんだろうなぁ。ほんの一瞬なんだけれど、目を合わせて薄く笑うところがとても好きだった。

他人の生き方を飲み込むということ

笠原家の敵討ちのあとの長秀の台詞。

「おまえは直江の生き方を呑み込んだ。だったら、今度のことも全部呑み込むしかねえんだよ」

Wikipedia程度の知識しかないのでこれを書くかすごく迷ったんだけれど、長秀は胎児換生ではなく成人換生をしていることが多い…らしい。その長秀が「呑み込め」と言ったことが重たかった。長秀は飄々としているようで、他の誰よりも多くの人生を呑み込んでいるのかもしれない…と少し怖くなった。それを普段は出さないところがまた長秀らしいのかなぁ。よくわかんないや。

一貫してふらふらしている長秀だけど、松川神社戦で霊に止めを刺したときの声はいつもぞくっとする。見せていないだけで自分の実力に自信があるんだろうなぁ。

千秋楽の一幕

全部終わって、カーテンコールで上杉主従が出てきた時のこと。いつもは景虎様が直江を顎で促すのに、このときだけは手をしっかり握り合って、しっかり目を合わせてから前に出てきた。その前から感情がクライマックスだったのにここで止めを刺された。息を吸いすぎて喉が「ヒィーーーーーーーー」と音を立てた。人間、こんな簡単に呼吸困難になるのか…いっそ感慨深いわ。あの瞬間、炎の蜃気楼という舞台は終わったんだなぁ、と納得した。始まりがあれば終りがあり、長い秋雨もいつかは止む。そうやって、少しずつ前に進むしかないんだろうなぁ。

とりあえずこんなところです。