行く末トーキー

はじめからはじめよ

蜃気楼 ― 舞台「炎の蜃気楼昭和編 紅蓮坂ブルース」

はぁーーーーーーーーーーおわりましたーーーーーーーーーー............

長い長い紅蓮坂が終わりました。

観劇の記録

  • タイトル:炎の蜃気楼昭和編 紅蓮坂ブルース
  • 日時:2017年10月17日 15時 (千秋楽)
  • 場所:THEATRE 1010

容赦のないネタバレにご注意ください!

座席位置

譲っていただいた席で、偶然にも14日に見た席の隣。つまり下手端。連番した彼女はこんな風に見えてたのか~やっぱりちょっと見切れるなぁ~すまんなぁ~…ってちょっと思った。次行くときは頑張って運気をあげていくね!

雑感

ただ圧倒された。人間の感情ってこんなにも揺さぶられるんだって思った。自分以外の誰かを想うことの強さで叩きのめされた。

最後の最後で景虎様が魂を全部賭けてきて、引きずられて直江がぼろぼろの心をぶちまけて、それをただ見ていることしかできなかった。こちらの感情とかそういったものをガンガン揺さぶってくるんだけれど、本当に金縛りにでも遭ったかってくらいに身動きが取れなくて、ただ唇を噛んで見つめることしかできなかった。涙を流すどころか瞬きすらできなかった。終わったら若干唇が切れてた。

なんてものを見てしまったんだろう。

全部終わってカーテンコールが始まった瞬間、現実に引き戻されて体が震えた。そう、これは演劇。全部全部作り物のお話だ。そんな単純なことも忘れてしまっていた。明日には何もなくなってしまう、仮初の現実。なのに現実以上にリアルで、なんて言えばいいのかな、なんて言えばいいのかな、一度死んで生き返ったような心地がする。

なんてものを見てしまったんだろう。

なんてものを見せてくれたんだ。

圧されてぐちゃぐちゃになったまま、何もこぼさないように丁寧に持ち帰ってきて、今記事を書いている。これがどこにも残らない蜃気楼であることをまだ受け入れられない。秋雨の1010で見た夢なんかじゃないと信じたい。

生を願う

最も叩きのめされたのが、最後、景虎様が直江の生を願うところだった。前3回とは全然違う。その少し前、美奈子の強さを目にしたときに声が詰まり、揺らいだところから、自分のすべてを直江に預けるかのような叫びまで、上杉三郎景虎としての全部がそこにあった。

「おまえはオレが、この世で一番信じている男だからだ!」

この一言にかかった重さが尋常じゃない。上杉三郎景虎として始まり加瀬賢三に至るまでのすべての時間が重なっていた。言葉が全然足りない。自分のことすら信じられないのに、自分のすべてを託す相手がいる。その非対称な関係が景虎の強さなのかもしれない。そうじゃない、そうじゃない、なんて言えばいいのかな…。ありきたりの言葉しか出てこない自分が悔しい。なんでこんな単純なことしか言えないんだろう。悔しい、悔しい、悔しい。400年の重みを語るには私の言葉はあまりにも無力すぎる。悔しい。いつか忘れてしまうだろうことが悔しい。この日受けたゆらぎがいつか平穏に戻ってしまうことがこんなにも惜しい。ここから動きたくない、揺らいだままでいたい。受け止めきれなかったものをきちんと消化するまで待ってほしい。けれど時間は止まらない、今この瞬間にも感情がこぼれる。言葉じゃあどんなに重ねても意味がない、それがどうしようもなく悔しい。

「信じられないから託すんだ、そうでしょう! 私の忠誠を試すために!」

絶対の信頼を受け止めきれない直江も、自分でも見ないようにしていた弱さを引きずり出される。信頼に値する存在であると思えない自分を前に、最も強く想う相手の信頼を拒絶する。受け取りたいのに、受け取れない。声が震える、手が震える。誤魔化しようもないくらいにぼろぼろの心を表に出しながら取り繕う余裕すら奪われている。かろうじて自分を守るための言葉すら断ち切られる。

「信じてるだなんて……いま私にその言葉を告げるのは「行ってくれ直江、オレの代わりに美奈子を守れ」

前3回は「罪です」を聞いてから改めて命令を重ねていた。今回はそれすら言わせてくれない。直江の逃げ場をすべて潰していき、信頼を預ける。どこまでも真摯で、それがどうしても冷酷だ。直江が必死に目を背けて逃げていた場所を消していく。信頼されていることをわかっているからこそできる仕打ちだ。どれだけ酷なんだ…。*1

景虎と直江は、互いが互いの生を願うというただ1点を絶対に信頼し、そこだけを拠り所に400年を生きてきたのかもしれない。自分が生きる理由、生きるすべてを唯一の他者に託す、これ以上に重たい信頼はない。景虎は直江が自分の生を願ってくれると信じているから、直江に「生きて生きて生き延びろ」と命じる。それを受けた直江も「解放してくれ」と呻きつつその願いを遂行するしかない。景虎の願いを叶えることだけが直江の存在理由だからだ。どれだけ解放されたくても、景虎の生を願うために自分は生きなければならない。一対の魂というより、ただ1つの魂を2人で渡し合うような、言葉の及ばない世界だ。自分の意志ではもう止めようがない業を感じる。

蜃気楼

死者は未来を望んではならない、それが景虎の下した結論だ。それでも未来は容赦なく訪れる。仮の肉体に宿り、仮の人生を歩みながら、彼らはどこへ向かうんだろう。「未来で今を悔いろ」と言われた景虎に未来は存在しない。彼らには膨大な過去とわずかな現在しかない。そのほんの少し先にある未来を、立ち上る蜃気楼のように眺めながら生きていくのだろうか、どうなんだろう。未来を望まない生き方ってどういうことなんだろう。朝起きたとき、今日が訪れたことをどう思うんだろう。私にはわからない。

直江が最後に「俺が望むものは」とこぼす時、全く同じことを景虎が言っているように聞こえた。幻だと思う。頭がおかしくなってしまったんだろう。けれど、あそこで直江が「俺」になったのって、景虎の「オレ」と被らせたかったんじゃないかなって……

原作と舞台

カーテンコールで、桑原先生からのコメントがあった。先生は客席(1階後方)にいて、多分コメントするとは思ってなかったんだろう。それでも、全員が本番同様に耳をすませて、先生の声に聞き入った。先生が「昭和編はあと1作ですが、」と言った瞬間に客席にさざなみが広がったのを、すごいと思いつつ少し寂しかった。私のミラージュはまだここにしかない。自分の人生以上の歴史を背負う作品と共に生きている人と感情を分かち合えない。けれどこの作品がどれだけ愛されているかがわかる瞬間だった。原作付きの舞台はいろいろな関係があるけれど、ミラージュのそれは本当に幸せな形なんだろう。いつか訪れる物語の終わりに向けて、あのさざめきを理解できるようになりたい。ひとまず本編読みます。

富田翔という方

すごい人だった。最初に見たのがミラステのインタビューで、その次がニコ生か何かで、荒牧さんがすごくなついている先輩、程度のイメージだった。3月の大阪トキイベではっちゃけている様子を見ておもしろい方なんだなぁと思ったり、薄ミュの受付でばったり遭遇してその落ち着いた雰囲気に驚いたり、ちょくちょく縁はあれどつながるには薄いままだった。

ミラステの映像も見ていたけれど、それじゃあ全然わからなかった。すごいということはわかった。刀ステの政宗公を見た時は、ものすごく「主」としての存在感がある人なんだとわかった。そして今回、この人のことが少し怖くなった。

どこかで、舞台の上で死んでしまうのではないか、と心配されていた。舞台の上でしか生きられない人なのかもしれない。それが普通の人の皮を被って日常生活を送っているのかもしれない。どんどん現実を引き剥がして自分に引き込んでいく存在が恐ろしかった。現実に存在するとなまじわかっているだけにぞっとした。舞台の上とそれ以外で、私の見ている「富田翔」は本当に同一人物なんだろうか。もしかして、一番の外側しか見えていないんじゃないか、もっと見ていない部分があるんじゃないか。そう考えると少し怖い。

この方を尊敬できる荒牧さんがすごい、と思う。恐れずに近寄れるだけの自信があるんだろう。吹っ飛ばされないだけの根拠があるから懐いていられる。そして「自分を越えるかと思った」と言わしめたのは本当にすごい。荒牧さんはほとんど関係していないのに、改めてこの人達はすごいんだなぁと実感した。世界が遠いなぁ。もとから近くなんてないんだけれども。

カーテンコールで水谷さんがしゃべっているとき、時々目頭を抑える様子を見て「あ、この人も涙を流すんだ」となぜか意外に感じた。どうしてかわからない。レガーロはミラージュ昭和編世界の始まりでもあり日常でもあって、それが今回で終わってしまう。確かにあの場は、どんな闘争があっても、帰る場所として存在した。でもそれだけじゃなかったんだろうなぁ…。なんか、理由はわからないけれどすごく心に残っている。

あと「帰れぇ!!!!!」を生で聞けたの結構嬉しかった。蜃気楼の世界から現実に戻るためのきっかけにもなったし。あれ生で聞くと圧がすごいね…。端の席だったから壁に反響した分もすぐとどいてビリビリっときた。無事成仏できそうです。

ああ、この舞台と縁があってよかったなぁ。

また、この物語が終わるところで縁がつながるといいなぁ。

今はこれ以上書けないから、また落ち着いたら改めて感想を書くかもしれない、書かないかもしれない。

それでは、また。

*1:ここ同じ台詞2回あったらしいんだけれどもうぐっちゃぐちゃで断ち切られたことしか覚えてない